「まとめ① 教師の”ノブレス・オブリージュ”」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.93
ここから、本シリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」のまとめに入っていこう。
それは、「どうすれば教師は、憧れを取り戻すのか」ということへの探究だ。
“ノブレス・オブリージュ”
歴史上で最も尊敬し、憧れる人物は誰かと問われれば、ぼくは迷わず「白洲次郎」を挙げる。
白洲次郎について簡単に紹介しておこう。
白洲次郎はご覧の通り、日本人離れした甘いマスクで本当にかっこいい。
ぼくが白洲次郎を知ったのは大学生の時だった。
書店で、白いTシャツとジーンズの渋いおじさんが表紙になった文庫本に目が止まり、それを読んで白洲次郎に夢中になった。
兵庫県の芦屋市に生まれ、経済的にはとても恵まれた家に育った。
次郎は現在の芦屋市立精道小学校に通い、神戸女学院を創設したのは次郎の祖父だ。
しかし、生粋の「傾奇者」だった次郎は「島流し」(本人弁)にあい、イギリスのケンブリッジ大学に留学する。
そこではベントレーを乗り回し、学生生活を謳歌していた。
しかし、突然、神戸市で父親が経営していた会社が倒産。
次郎は留学を途中断念して帰国する。
その後、英字新聞の記者になるが、現在のニッスイの取締役に就任。
海外との取引に奔走する中で、当時イギリス駐日大使だった吉田茂(のちの内閣総理大臣)と昵懇になり、政治の世界で活躍する。
しかし1940年。
まもなく日本は戦火に覆われると感じた次郎は俗世間との関係を断ち、東京鶴川村に古い農家を買い、「武相荘(ぶあいそう)」と名付けて農業に勤しむ生活をする(と言いながら、日夜政治家や著名人が次郎の元に日参した)。
1945年。終戦を迎えた時に外務大臣だった吉田茂に請われて「終戦連絡中央事務局」の参与に就任する。
そこでのエピソードは有名だ。
GHQに対してまったく物怖じすることなく、マッカーサーの態度に憤慨した次郎は、流暢な英語でマッカーサーを怒鳴りつけて慌てさせるなどした。
マッカーサーは後に次郎を、
「唯一、従順ならざる日本人」
と言わしめた。
これが白洲次郎から感じられる”ノブレス・オブリージュ”だ。
「高貴なるものの義務」
フランスの言葉で、貴族の高貴な振る舞いに対して用いられる言葉が語源だが、これは多様に解釈すればいいだろう。
サンフランシスコ講和会議の場で、全てを英語にして吉田茂に演説させようとしていた日本の高官を怒鳴りつけ、
「講和会議とは戦勝国も敗戦国もない。同等の立場での講和だ。それを相手側の言葉にわざわざ直して書く馬鹿がどこにいるか」
と言い放ち、吉田茂に日本語で演説させた。
そこには、グルーバルで高い教養を身につけた誇り高き日本人の姿がある。
教師の”ノブレス・オブリージュ”とは
ぼくが、このシリーズをまとめようとする段階に、白洲次郎の”ノブレス・オブリージュ”と教師を結びつけようとしていることには理由がある。
それは、教師としての「気位を高く持つ」ことが大切だと感じているからだ。
もちろん、威張るとか偉そうにするとか、人の上に立つとかいう意味ではない。
言い換えると、「誇り高き教師」の姿こそが、教師の”ノブレス・オブリージュ”と言えるだろう。
かつての、昔の教師のイメージはというと、古臭い服を着てけっして裕福には見えないが、その全てを子供たちの教育に捧げている姿が思い浮かぶ。
そんなイメージでいうと、近年であれば斎藤喜博や無着成恭が思い浮かぶところだが、もっともわかりやすいのは「金八先生」だろう。
ぼくも、そんな教師に出会ったことがある。
ぼくがかつて、小学校の講師として赴任した学校は、とても田舎の小規模校だった。
その学校の教頭先生は森田先生といって、まさに昔の教師を絵に描いたような風体の人だった。
髪はボサボサで、白髪混じりの無精髭を生やしている。
白いシャツをだらりと垂らし、裸足に草履がそのスタイルだった。
いつもタバコを咥えながら校庭の草引きをしていた。
そして、とても優しく、人間味あふれる人だった。
渋くてかっこよかった。
ぼくは、その教頭先生にずっと憧れていた(外見以外だが)。
その年の教員採用試験に不合格だったぼくは、失意にくれて運動場の片隅に座り、一輪車で運動場を走り回る子供たちの姿を眺めていた。
そこに、森田教頭先生がタバコを咥えながら現れ、ぼくの隣にドスンと腰をおろした。
しばらく2人で、なんの会話も交わさず子供たちの姿を眺めていた。
すると、森田教頭先生は、子供たちを指差して言った。
「可愛いなー、子供たちは。
あの子供たちにとっては、採用試験なんて関係ないんだ。
試験に落ちた先生ではなく、おまえは今も、明日からも変わらず、子供たちにとっては大好きな先生なんだよ」
涙がボロボロこぼれ落ちた。
採用試験に落ちたぼくは、教師を続けてもいいのか、その資格はあるのか、子供たちの前に、どんな顔で立てばいいのか。
そんな申し訳ない気持ちで、教師としての自信を失い、逃げ出したくなる自分と闘っていたときの言葉だった。
ぼくはその一言に救われ、教師を志し、教師になることができた。
森田教頭先生は、汚かったしダサかったが、”ノブレス・オブリージュ”があった。
その「誇り高き教師」の姿を見て、憧れ、学んできた。
しかし、今SNS上には、教師によるたくさんの愚痴で溢れている。
ぼくのゼミの学生が、教育実習の初日に担当する教師からこう言われた。
「ぼくには家族がいるから定時に帰るので、あまり見てあげられないと思うよ」
社会では「働き方」という、当然主張しなければならない権利が強く語られるようになった。
その働き方改革の理念は学校教育現場にも影響し、「残業」という概念について語られることも多くなった。
教師も1人の社会人であり、家族もいれば自身の人生を謳歌する権利がある。
だがそれは、先の教育実習で学生にいう言葉ではないだろう。
それを「教師の働き方改革」というのであればとても残念なことだ。
それでは、教師に憧れる学生は減る一方だろう。
金八先生に働き方も何もあったものではなかった。
そしてダサかったが”ノブレス・オブリージュ”があった。
あの頃、教師は「憧れの職業」だった。
教師は、教師の”ノブレス・オブリージュ”を持とう。
そして、教師という職業とは何かを、そして今何が起きているのかを考えなければならない。