阪神・淡路大震災から27年目の1.17に寄せて

「黙祷」の瞬間に想像すること

昨日、2022年1月17日は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から27年目の1日だった。

ぼくは例年、ゼミの学生たちを連れて神戸市の東遊園地へ行き、「1.17の集いに参加するようにしている。
地震が発生した5時46分の30秒前にカウントダウンが始まり、46分ちょうどにライトが消され、灯された竹灯籠の明かりの中で黙祷する。

この瞬間に、とてつもなく大きな揺れが発生し、一瞬にして生命が閉ざされたり、生活や人生が激変した人たちのことを想像すると、胸が押しつぶされそうになる。

その瞬間を、震災時に生まれていなかった学生が体験する。
周囲には啜り泣く嗚咽が聞こえ、学生たちにとっては「ただの震災」ではなくなる。
遺族の話を聞き、震災と人の命の関連に思いを馳せる。

学生をここに連れて行く目的は一つだけだ。

将来、教師になったとき、あるいは子を持つ親になったとき、そのことを体験から伝えられる人になってほしいということだ。

伝えられていなかった自分

そして昨晩、教師になった元ゼミ生に聞いてみた。

「今日の1.17では、子供たちにどんな話をした?それともできなかった?」

すると、ある程度予想はしていたが、残念な返事が返ってきた。

「話せていません」
「担当の先生が話していました」
「今日がその日だとは気づいていませんでした」

そんなものなのだろう。
何よりも、学校現場の余裕のなさを実感した。

まず、あの貴重な瞬間、5時46分に多くの人々と共に黙祷をした体験を思い出してほしい。

校長先生や担当教員が子供たちに、

「1995年の今日、大きな地震がありました」
「6443人もの人が犠牲となりました」
「みなさんも、家の防災対策をもう一度見直しましょう」
「亡くなった人のことを思いながら、命を大切にしましょう」

と話して、それで何かを終えたような気持ちになっているのであれば、教育への情熱が足りないと言わざるを得ないだろう。

昨晩、元ゼミ生が2年前の1.17で手を合わせている写真を送ると、横浜市で教師をしている彼はこんなことを言った。

「懐かしいです。もう一度、この頃のきれいな心を思い出してみます」

献花し、手を合わせる学生。
今は教師をしている。

そんなことはない。
彼はきれいな心を持った、とても素晴らしい人間だ。
早くに父親を亡くしたが、大学1年生の時に「お母さんを喜ばせたい」と教師になることを誓った。
何度も一緒にカンボジアに行った。
泣くまで説教したこともあったが、年々成長する彼をみてきた。
いい教師になるに決まっている。
そう思える人物だ。

別の元ゼミ生が、彼の発言に呼応した。


「きれいな心かー。なんか、学校の先生になって失ってしまった気がする」

きれいな心を失ったのではなく、それを出す余裕がないだけだろう。
その心に、自ら水やりをしなければ、それは枯れていくだけだ。

子供たちに、自分にしかできないような話をすればいい。
震度とか被災者の数はどこにでも載っている。

5時46分に、まだ暗い朝に黙祷をした瞬間のことは、彼らにしか話せない。
震災を知らない自分が、あのとき何を思い、感じたのか。
何を子供たちに知ってほしいのか。

子供たちにそれを語ろうとする情熱を持つために、1.17の5時46分に黙祷する。

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