「カリキュラム・イノベーション①〜カリキュラム観の変容の必要性〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.88
「カリキュラムとは何ですか」
ぼくがカリキュラム論の授業で教育学部の3回生の学生にそう問うたとき、ほとんどの学生はキョトンとし、「自分なりの考え」を含めた論を表現することはできなかった。
学生だから仕方ないとして、15回の講義でこの問いに明確に答え、話せるようになることを目標にした。
では、現場の教師はどうだろう。
この問いに対して、どのように答えるのか興味深い。
学校教育の中核を形成するものが”curricurum”だ。
ここからは、ぼくなりに論考したカリキュラム・イノベーションについて論じていこう。
このことは、これからの学校教育と教師のイノベーションにとってもっとも重要であると言っても過言ではない。
カリキュラム観の変容
「カリキュラムとは何ですか」
という問いに対して、多くの教師はこう答える。
“「教育課程」の英語版”
“授業、子供たちが学ぶ内容の基準”
もちろん間違ってはいない。
しかしそこには、カリキュラムとは何か、を論じる主体が存在していない。
まるで教科書の文言を読んでいるだけのようだ。
実は30年以上前に、日本はカリキュラム観に対する変容を迫られている。
1974年(昭和49年)、東京において文部科学省はOECD(経済協力開発機構)の内部機関であるCERI(教育研究革新センター)と協働し、「カリキュラム開発に関する国際セミナー」を開催した(文部省大臣官房調査統計課 1975「カリキュラム開発の課題 −カリキュラム開発に関する国際セミナー報告書」)。
ここで、日本におけるそれまでのカリキュラム観が大きく転換されることになった。
当セミナーでは、OECD-CERIのカリキュラム観が紹介され、そのカリキュラム観に直接触れた日本の研究者は大きな衝撃を受けたのだ。
それまでの日本のカリキュラム観とは、学習指導要領をスタンダードとした教育課程そのものであり、それは子供たちが学ぶべき基準という捉え方が一般的だった。
そしてカリキュラムという用語は「教育課程」の訳語であり、それが狭義であるか広義であるかという議論は起こりようがなかった。
いわゆる「ナショナル・カリキュラム」である学習指導要領が示す教育課程の指針とは、国が示した疑いようのないカリキュラム観という捉えは揺るぎようがなかったし、揺るがそうというムーブメントも起こらなかった。
その必要性を感じることもなかった。
だが実はそのことが、現在のカリキュラム・マネジメントが教師や学校の側に存在できない所以であることは、ぼくは論文の中で指摘している(松井、2020)。
そして当セミナーでは、「学習者に与えられる学習経験の総体がカリキュラムであり、それは日常の学習・教育活動の中で開発されていくものであるという考え方」という「OECD―CERI専門家の広い動的なカリキュラム観」に大いに影響を受け、日本のカリキュラム観が変容しようとする様相が見られたのだ。
結局のところ、学習指導要領がいかにポリティカルであり、日本の教師はそのスタンダードから離れる必要がなかったかを示している。
それが日本の教育にとってひとつの不幸だったと言えるだろう。
端的に、そして厳しめに言うと、日本の教師が教育者として、そしてカリキュラムの主体的な形成者として成長することができなかったということだ。
カリキュラムと「地図」
2017・2018年学習指導要領は、学習指導要領を「学びの地図」と表現した。
そこでは、「学校教育のよさをさらに進化させるため、学校教育を通じて子供たちが身につけるべき資質・能力や学ぶべき内容などの全体像をわかりやすく見渡せる「学びの地図」として学習指導要領を示し、幅広く共有」することが、改訂の理念として掲げられている。
また一方で120年前に、J.Dewey(1902)は「子どもとカリキュラム」(“Children and the Curriculum”)のなかで、カリキュラムを「地図」というメタファーを用いて説明した。
J.Deweyは、カリキュラムを、児童の経験(それを「探検」と例えた)が作り出し、しかも完成した「地図」であると例えた。
今次改訂の学習指導要領の理念が示す「学びの地図」と、Deweyが示す「地図」というメタファーは少し意味が違う。
この先で、カリキュラム・イノベーションのためにしばらくぼくなりにカリキュラムを論考するが、その前に最初の問い、「カリキュラムとは何ですか」という問いに対する自分なりの論を表現しておこう。
カリキュラムとは、子供(人々)がその社会(世界)のなかでよりよく生きる(Well-Being)ための「地図」である。
これが、ぼくなりのカリキュラム観だ。
次回、さらにカリキュラム・イノベーションについて考えていこう。