2022年1月
「まとめ④ 大学で何を学ぶのか」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.96
大学における教員養成のジレンマ 「どのような教師になるのか」、あるいは「教師は何をするべきなのか」について考えていくために、まず大学における教員養成の課題について明確にしておこう。 現在の日本における教員養成のシステムは […]
「まとめ③ 教師と福祉」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.95
教師のソーシャルワーキングについて もう少し、「教師の働き方」について考えてみよう。 公教育に資する教師という職業は、「公務員」(公立学校の場合)だ。したがって、理念としては自らの利益よりも公の利益のために自身を犠牲にす […]
「まとめ② 教師の働き方」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.94
教師の働き方と憧れの関連 教師の仕事というものは、「労働時間」や「労力」では測ることができない。 たとえば職員室に残り、夜遅くまで学級通信を作っている姿は立派だと思う。あるいは朝の教室で、教卓に山積みになっている漢字ドリ […]
「まとめ① 教師の”ノブレス・オブリージュ”」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.93
ここから、本シリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」のまとめに入っていこう。それは、「どうすれば教師は、憧れを取り戻すのか」ということへの探究だ。 “ノブレス・オブリージュ” 歴史上で […]
「カリキュラム・イノベーション⑤ 〜”マイ・カリキュラム”という考え方〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.92
カリキュラムは誰のためにあるのか ぼくが考えるカリキュラムの世界観の矮小化の要因は、「学習指導要領」にあるということだ。 ナショナル・カリキュラムである学習指導要領は、カリキュラムを「公」のものにしてきてしまったという感 […]
「カリキュラム・イノベーション④ 〜学校と教師がカリキュラム開発の主体となるために〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.91
カリキュラム・マネジメントへのポジティブ性とネガティブ性 カリキュラム・マネジメントの理論は昔からある。例えばカリキュラム研究を牽引してきた中留武昭が「カリキュラムマネジメントの定着過程」を記したのは2005年のことだ。 […]
阪神・淡路大震災から27年目の1.17に寄せて
「黙祷」の瞬間に想像すること 昨日、2022年1月17日は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から27年目の1日だった。 ぼくは例年、ゼミの学生たちを連れて神戸市の東遊園地へ行き、「1.17の集いに参加するよ […]
「カリキュラム・イノベーション③ 〜カリキュラム・マネジメントの本質〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.90
カリキュラム・マネジメントの主体は誰なのか カリキュラムは教育の骨格を形成するばかりか、人生や国家の形成に強く関与することについて述べてきた。学校教育におけるカリキュラムは、社会の、そして世界の変化とともに変容することは […]
「カリキュラム・イノベーション② 〜カリキュラムは人を創る〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.89
学校教育におけるカリキュラムは、子供たちがどのような人生を歩むのかを左右する、あるいはその道標となるような重要なものだ。ここでいうカリキュラムとは、単なる「学習指導要領をスタンダードとした教育課程」とは意味を異にすること […]
「カリキュラム・イノベーション①〜カリキュラム観の変容の必要性〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.88
「カリキュラムとは何ですか」 ぼくがカリキュラム論の授業で教育学部の3回生の学生にそう問うたとき、ほとんどの学生はキョトンとし、「自分なりの考え」を含めた論を表現することはできなかった。 学生だから仕方ないとして、15回 […]