「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言③ 〜オンデマンドから広がる個別最適な学びの可能性〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.80

前回No.79では、一斉授業の“とらわれ”について論考し、ハイブリッドに授業を展開する重要性について書いた。

もう少し、授業の形について考えてみよう。

3. 目を閉ざしてきた「知識・理解」の格差 〜オンデマンドによる可能性〜

前回、ハイブリッドに授業を展開することによって、たとえば不登校になっている児童生徒も、「学校にいかないこと」による不利益(学習面において)が解消される可能性について書いた。

コロナ禍は人々の命を奪い、経済を圧迫し、会いたい人と会えないという、考えもしなかった状況を生み出した。

だがその一方で、コロナ禍は学校教育に対して、新たな視点を与えたと言える。

これまで当たり前だったことを見直す機会になっている。
この機に、勇気を持って変化させていくことが必要ではないだろうか。

その一つが、「授業」だ。

教師が前に立ち、黒板に文字を書きながら30人の子供たちに45分間の授業をしている。
授業を観察していると、5人ほどの子供は明らかに「集中」を欠いてしまっている。
授業内容に関心を失っている。
最後に教師が、教科書の問題をさせた。
数人の児童が誤った解答をしているが、教師はそれに気づいていない。
答え合わせをして、その児童は間違っていることを知った。
そして、そっと自分の解答を消しゴムで消し、正解の解答に書き換えた。
教師が「みんな、できたかな」と聞くと、多くの児童は返事をしている。
だが、それは全員ではない。

このような光景は、日常的に何十年も展開されてきたのではないだろうか。

「だれひとり取り残さない」授業は、一斉授業では不可能に近いことはわかっていた。
だが、それ以外のすべがなかったのだ。
これまで、授業にはさまざまな工夫がされてきたが、全員に「理解させる」ことは困難だった。
教室に子供が30人いれば、その理解度や集中力、意欲に違いがあるのは当たり前のことなのに、学校教育はそこに対して目を閉ざさざるを得なかった。

だが、コロナ禍は「個別最適」に学ぶ可能性を示唆している。
それは、“オンデマンド”による授業だ。

2020年の4月。大学の授業は「オンライン」「オンデマンド」「課題」のいずれかで行うことになった。
ぼくは、いくつかの授業をzoomを使用したオンラインで展開した。
20人程度の少人数であれば、それはそれで成立した。
ただ、オンラインはその背景に対する配慮や、画面であることへの抵抗もあり、学生には「顔出し」は求めない。
すると、画面には20個の名前だけが並び、そこに対して語りかける。
チャット機能やグルーピングもできるので、あらゆる方法を試みながら授業を展開したが、虚しく、つまらなかったのが本音だ。

そして、別の授業は人数が多かったので、YouTubeで授業動画を作成して講義した。
ここで、いろいろな可能性に気づいた。

まず、学生たちに「YouTube動画を連続して視聴するのに最適な(限界の)時間は?」
と問うと、「20分程度」という答えが返ってきた。
そこで、90分の授業を20分で3展開するように作成した。
前年度は90分行っていた授業内容を20分3本の60分で収めるため、早口なったり内容が乏しくならないか心配したが、それは全くの杞憂であり、それどころか20分の2展開で済む回もあった。
対面の授業では、その場の雰囲気や学生とのやりとり、何かを配布したり機器のトラブルがあったり、さまざまな「無駄」があったことに気づいた。
YouTubeの授業動画は、一切の無駄を削ぎ落とした、精錬された講義だと実感した。

また、オンデマンドの場合は学生に学びのタイミングの自由が与えられる。
ぼくも最初は、たとえば月曜日の1時間目が授業であれば、その時間内に授業動画を視聴し、レポートを提出するという制約を課したりした。
だが、考えてみるとオンデマンドの利点は、学びたいときに学び、何度も繰り返し視聴し、理解できるまで繰り返すことができる点だ。
逆に、つまらなければ飛ばして観るだろう。
また、何も寝起きに無理して学ばなくてもいい。
朝ゆっくり起きて、目がしっかり覚めたら自分のタイミングで学べばいい。

(コロナ禍だし、それぐらいの自由度を与えてもいいだろう)という言い訳とともに、そのような利点に気付かされた。
そして、オンデマンドの場合、学生が「とてもよく」学んでいる様子がレポートからうかがえた。

これは、コロナ禍によって思いもかけず、学校教育の可能性が広がったことの一つだ。

一斉授業の限界は、誰もが感じてきたことだろう。

たとえば一つの授業について、5人程度の教師が授業動画を作成する。
児童生徒は、もっともわかりやすい授業動画を選択し、視聴する。
無駄を削ぎ落とせば、45分(50分)の授業内容は20分程度で収まる。
児童生徒はそれを好きなときに、好きな場所で、自身にとって最適なタイミングで視聴して学ぶ。
わかるまで何度も観ればいい。
「わかりたい」という意欲を喚起するとともに、オンデマンド授業で得た「知識・理解」を試し、表現する場を学校で作ればいい。
いわゆる「反転授業」のような形だが、「反転」させることが目的ではない。
「個別最適」な学びの場を作り、「だれひとり取り残さない」ためだ。

学習指導要領の改訂をはじめとするポリティカルな教育改革で、「個別最適」は実現できるだろうか。
そうではなく、子供たちを目の前で見て、感じている教師、学校がイノベーションしていこう。

コロナ禍はそのチャンスだ。



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