「学校教育現場での実習の再考」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.68
前回、No.67で、「教職を志望する学生の学校支援ボランティアへの参画は、やめたほうがいい」と述べた。
これはここ最近、ずっと思っていることだが、なぜそのようなことを言うのか整理していってみよう。
学習サポートの学び
「学校支援ボランティア」の支援内容は、教室で教師の授業などをサポートする「学習アシスタント」、登下校の見守りを含む「安全サポーター」、地域の伝統文化などを直接指導する「ゲストティチャー」などがある。
ここで話題にしている大学生、とくに教職志望学生の学校支援ボランティアは「学習アシスタント」が一般的だろう。
どのようなことをしているのかというと、休み時間に子供たちと遊んだり、ときには漢字ドリルの丸付けもしているようだ。
また、教室には支援の必要な子供もいる。
その子供が授業に集中しない、教室を出ていくといった事態に対応するサポートもしていると聞く。
このあたりまで聞いていると、有意義な学習サポートであり、同時に教職志望学生にとってはいい学びの場となっているだろう。
だが一方で、多忙な教育現場はついつい、教師の多忙を減らすために学生を使っている実態もあるようだ。
だが、それも現場の多忙を知る機会として捉えられるだろう。
それが学校における「ボランティア」というものなのかもしれない。
しかし、しれもこれも、学生が自ら「ボランティア」にいくからこそ学び得るものだろう。
当たり前だが、「ボランティア」は強制されるものではない。
だが、大学によっては「学校支援ボランティア」を強制的に行かせている実態もあるようだ。
それは、教職を幻滅させるものにしかならない。
同調圧力のボランティア
このような例がある。
S学園大学(以下、S大)としよう。
S大には1回生から4回生まで、教職に就くための資質形成を目的とした演習科目があった。
この科目を履修すると、2回生で1年間ずっと、「学校支援ボランティア」に参画する。
毎週、この講義の曜日はこの科目だけの履修にして、1日中学校支援ボランティアに行かせる。
これは必修ではないが、教職につく意志があるなら受講するように、という「指導」が、履修登録で行われる。
1回生ではまだ、教職につく決意をしていない学生が多い。
最近ならなおさらで、迷っている学生は多いだろう。
だが、この科目を履修しなければ、もはやこの大学での教職コースから外れてしまうという感覚が働いてしまう。
これはまさしく「同調圧力」と言えるだろう。
なんとなく、しかたなく、迷いながらこの科目を履修し、2回生から1年間の学校支援ボランティアに参加する。
それほど強い意志を持たずに学校教育現場に行くと、そこには夢を砕く現実しか見えてこない。
喧騒に溢れかえる教室や廊下。
バタバタと走り回り、笑顔のない教師。
悪口の絶えない職員室。
教師という職業の「やりがい」を学生に見せることができないほど、学校現場は余裕がない。
そして校長が学生に言う。
「教師になんか、ならないほうがいいよ」
(ぼくのゼミの学生8人中、2人が実習でこの体験をした)
学校支援ボランティアの有効性のエビデンス
大きな学びはなく、しかも夢が砕かれるのであれば、それはないほうがいいだろう。
このようなボランティアで教師としての資質を育むというが、その効果にエビデンスはあるのだろうか。
杉本(2013)は「大学生による学校支援ボランティアの現状と課題」を報告している。
そこでは「学校支援ボランティアの効果・影響」として、学校側は「役に立っている」や、「児童生徒に(いい)変化があった」など、プラスの影響がほとんどだったと報告されている。
では、学生の効果・影響はどのように報告されているだろうか。
そこでは他の研究を挙げて、たとえば「子ども一人ひとりの立場に立って考える力」が育まれた可能性について示唆されたと報告されている。
これは効果・影響のエビデンスとしては信頼性が低い。
また、参加した学生は,自分自身を「いい方向に変化」43.6%,「いい方向にやや変化」43.6%と捉えていると報告されている。
そうではない(いい方向に変化していない)と言う報告の詳細はなかった。
この研究は2013年の報告であり、10年近く前の研究であり、現在は様子が違うかもしれない。
そこで、現在の学生に調査を試みた。
次回、その結果について報告しようと思う。