「教員養成のイノベーションへ 〜実習は夢折られる場なのか〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.65

これまで本シリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」では、No.64までで「コロナ禍の新任教師たち」、教師の不祥事と教員採用試験の倍率の関連にして論考した「教師と社会」、TALIS2013や2018を検討しながら、日本の教師の実態について取り扱ったシリーズや、「いじめと教師」「不登校と教師」などを取り扱ってきた。

ここまでは、現在の日本における学校や教師の実態について論考してきた。
内容的にはかなりクリティカルなものだった。
しかし、このシリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」の目的は、学校や教師の実態を批判することではなく、「その先の教育」を考えていくことだ。

これでその材料が揃ったと言えるだろう。
ここからは、教育のユートピアに向けて、「学校と教師のイノベーション」をテーマに述べていこうと思う。

まず、教員養成のイノベーションについて考えていきたい。

幼稚園の教師を目指していた学生が、心折れた瞬間

ぼくは勤務校で小学校の教員養成に関わっているが、保育士・幼稚園教員を志すコースの授業も担当している。

その授業では今、保育園や幼稚園の「困りごと」の実態についてディスカッションしている。
優秀な学生が多く、ぼくが学びになるような議論が展開され、毎週とても楽しみにしている授業の一つだ。

あるとき、ぼくはこんな質問をした。

「ところで、この中で保育士、幼稚園教諭を目指している人は?」

最近、小学校の教員養成コースでも、小学校の教師を志す学生が明らかに減ってきている。
保育士、幼稚園はどうなのだろう。
そんな単純な関心からの質問だった。
そしてぼくの予想とそれまでの印象では、8割程度の学生が手を挙げるだろうと思っていた。

そして、20名の授業で手をあげた学生は、2名だった。

ぼくは驚いて、

「え!どうして!?」

と聞いていた。
すると学生たちは、口々にその「理由」を話し始めた。
なかでも、周囲の誰もが幼稚園教諭になるだろうと思っていた、とても優秀で資質あふれる学生が話し始めた。

この学生をHとしよう。

Hは、自身が幼稚園児のときにその先生に憧れた。
優しくて、いつも子供たちのそばにいた。
自分も、そんな先生になりたいと、幼心に「憧れ」た。

Hは、4歳の頃からその夢をずっと抱き続けて、大学の教育学部の幼児教育コースに入学した。
幼児教育の専門的な学びに心を躍らせながら、大学生活を謳歌した。
そこに、自身の夢への「ブレ」はなかった。

大学3年生になり、実習が始まった。
幼児教育の免許課程は本当に実習が多い。

Hはまず、3回生の7月に「観察実習」に参加した。
「観察実習」とは、その文言の通りで保育所や幼稚園で、1日の流れを観察する実習だ。
「見学実習」ともいう。

Hはその観察実習で、私立の幼稚園に行った。
憧れの仕事だったので、観察そのものが楽しかった。
その中で、Hはちょっとした違和感を感じていた。
先生たちが、あまり子供たちと関わっていないように見えた。
Hは、(忙しいから仕方ないのかな。本当は、子供たちと一緒にもっと過ごしたいんだろうな)と解釈した。

続けて8月に、卒業した園で実習があった。
母園ということもあり、とても楽しく、多くの学びがあった。
夢はまだ、育まれていた。

そして9月の実習は別の園で行われた。

ここで、Hの夢が蝕まれ、砕かれていく出来事が起こった。

Hの言い方をそのままここで表現すると、それは

「園の先生たちが、日頃のストレスをそのまま私にぶつけていました」

ということだった。
詳しく聞いたその内容は、想像できるがとても残念な話だった。

毎朝、園庭の草むしりをひとりでするように指示され、Hはその指示に従って毎日の朝を過ごした。
内心では、短い実習の期間できる限り子供たちと接したい、という思いがあったが、子供たちの声を聞きながら我慢して草むしりをした。

実習日誌は通常、翌朝提出する。
小学校の教育実習でもそうだろう。
1日の実習を終え、疲れ果てた体と緊張感をほぐしながら、1日を思い出して日誌を書く。
その文章量が実習への意欲と学びの質に換算されるという、古い慣習は続いているだろう。

その実習日誌を、Hはその日中に提出するように指示された

いつ書けばいいのかと戸惑いながら、実習中の時間を見つけて書いた。
限られた時間の中で、簡略化して記述するしかなかった。
その実習日誌を、担当教員は酷評し、書き直しを命じた。
それが毎日続いた。

ある日、わからないことがあったので職員室に入り、声を出して聞いた。

「すみません。これはどうしたらいいのですか?」

近くを通る教員も、机で事務作業をしている教員も、全員が無視した
顔も上げず、答えることもなかった。
Hはそのまま立ち尽くしていると、担当の教員がきて職員室の教員たちに、

「あ、この人、私の担当の学生です」

と言った。
それでも、誰も何も言わなかった。

そして決定的なことが起きた。

Hがほうきを持って掃除をしていると、階段の少し上で、Hがいるのを知りながらだろう。
Hの悪口を、担当の教員と数人が言っているのが聞こえた

Hは、個室で昼ごはんを食べるように指示されていたので、そこで毎日、泣きながらおにぎりを口に押し込んだそうだ。

そして耐えきれなくなったHは大学の教員に相談し、実習を途中でやめた。

同時にHの中で、幼稚園教員への「憧れ」と「夢」が音を立てて崩れた

これが、ひとりの学生が教員になることをやめた実例だ。
Hは、ただ「いじめ」とも言える実習が辛かったことだけが理由で、幼稚園教員になることをやめたのではなかった。

実習中に、多くの教員の姿を見て、言葉を聞いてきた。

ある園で、全く子供たちと遊ばないし、関わろうとしない教員がいた。
その教員は、こんなことを言っていたそうだ。

私は子供たちに自主性を育みたいから、できるだけ子供たちとは一緒にいないようにしている

それはひとつの教育方法だろう。
しかし、Hには「言い訳」にしか聞こえなかったそうだ。

Hは幼稚園教員に憧れながら、多くのことを学習してきた。
そして、自分なりの考えや教育方法を持っていた。
だが、現実の教育現場は、そのような理想を試そうとしてできるような場ではないと感じた。

Hは、幼稚園教員になることを「諦めた」のではなく、「見限った」のだった。

これが、今、教職を目指す大学生の中で起きている実態の一幕だ。
そしてこの実態は、至る所で起きているだろう。

このブログの本シリーズの初めの頃に書いていた「教員採用試験の倍率低下」の実態は、このような実習や教育現場の実態にもその要因はある。

ここから、教員養成のイノベーションについて考えていこう。

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