「いじめの発見・相談と教師」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.55

前回、海外のいじめについて考えてみたが、今回はいじめの発見と教師の役割について考えてみよう。

いじめの発見における実態

いじめは「誰が」発見するのだろう。
No.53「いじめの潮流」の中で、

第1の潮流の中で「いじめ」の概念が確立していく中で、いじめが「悪いことである」という認識が生まれた。
そしていじめを隠そうという意識が生まれ、いじめが見えにくくなっていた。

という考察をぼくは述べた。

いじめによる痛ましい自死事件などが発生するたびに、学校や担任教師がいじめの実態を把握していたか、ということが論点に上る。
それはどのようにデータに表れているだろう。

【図1】令和2年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(文部科学省)
(2-5)「いじめの発見のきっかけ」をもとに筆者が作成(認知件数420897件)

文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(令和2年度)によると、小学校の場合「いじめの発見」は【図1】の様相を示す(同資料を筆者がグラフ化したもの)。

これを見ると、令和2年度に認知されたいじめのうち、学級担任が発見したものは全体の10%だった。
最も多い発見のきっかけはアンケート調査(59%)だ。
アンケート調査は多くの場合、定期的に実施され、報告義務のあるアンケート調査か、そうでなければいじめに関する重大な事案(事件)が発生し、その実態を把握するために実施することが多いだろう。

いずれにしても、担任教師が発見できる可能性はかなり低いということを、このデータは示唆している。

あるいは、当該児童生徒(いじめの被害者)の保護者による訴えも、学級担任と同じく10%を示している。

学級担任と被害者の保護者。
被害児童生徒にもっとも近いところにいる大人は、そのいじめを発見することが困難であるということだ。

このグラフでもうひとつ注目すべき観点がある。
本人からの訴えが16%であり、アンケート調査による発見の次に多いことはわかるのだが、「他の児童生徒からの情報」が3%であることに注目する。

どこかで紹介したかもしれないが、カンボジアの大学生に日本のいじめの実態について話したことがある。
そのときに、日本ではいじめを苦に自死する子供たちがいるということを話すと、驚いた表情でこう言った。

「そんなこと、私たちの国ではありえません。死にたいぐらい苦しんでいる友達がいたら、誰かがきっと助けようとします」

このように断言できる子供は、あるいは大学生は、日本にはどれほどいるのだろう。
「気が付いていても、見て見ぬ振りをする」

3%という数字は、いじめという問題の、ひとつの重要な側面であるような気がする。

誰に相談するのか

では次に、いじめ被害を受けている児童生徒は、そのとき誰に相談するのか。
同じく文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(令和2年度)をグラフにして検討してみよう(小学校)。

【図2】令和2年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(文部科学省)
(2-6)「いじめられた児童生徒の相談の状況」をもとに筆者が作成(認知件数420897件)

【図2】からは、学級担任への相談が68%と圧倒的に多くを占める。

以前紹介したが、ある自治体のいじめ防止への取り組みの中で、中学校の生徒たちの多くが「担任には相談しない」と言った。
理由を聞くと、「話が余計にややこしくなる」と言うことだった。

上記の【図1】と【図2】は、いずれも小学校の場合だが、中学校の場合、「いじめられた生徒の相談状況」としては、学級担任への相談は77.7%であり、小学校よりはその割合は下がる。
逆に中学校の場合、「学級担任以外の教職員」への相談が17%になり、小学校から割合が大きくなる。
このことは、「担任に言うと話がややこしくなる」と言った中学生の心情を反映しているのかもしれない。

だが、いずれにしても「担任に相談する」児童生徒は、とても大きな割合を示しているようだ。

今回、2つのデータから検討したところ、次のことが言えるようだ。

いじめを教師が発見することは困難である。
発見(あるいは認知)した場合、多くの児童生徒が教師に相談する。

したがって、発見できていない多くのいじめが、重大な事案(事件)に発展してしまう例があるのかもしれない。
あるいは、発見できる、相談できるいじめは解決への可能性を持ったいじめであり、発見できないいじめこそが重大なものであると言うことかもしれない。

では、「発見できない」「重大な」いじめを、どうすれば防ぐことができるのだろうか。

次回、考えてみよう。

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