「教員養成の質的転換へ」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.46
ここまで数回の連載で、教育実習に関してぼくが見てきたものについて紹介し、論考してきた。
ここからは視点を変えて、「教員養成」について考えていきたいと思う。
教員養成のフラッグシップとは
現在、文部科学省では「教員養成フラッグシップ大学」を公募している。
そこでは、
(1)「先導的・革新的な教員養成プログラム・教職科目の研究・開発」
(2)「全国的な教員養成ネットワークの構築と成果の展開」
(3)「取組の検証を踏まえた教職課程に関する制度の改善への貢献」
がその期待される役割、任務であるとされている。
指定件数は4〜5大学ということなので、小規模な私立大学は申請へのトライすらしないだろう。
だがこの公募要領にも相変わらず、「変化が激しく予測困難な社会に対応するために」や、「令和の日本型学校教育を担う高い資質能力を備えた教師の育成」など、ファジーで抽象的な文言が並ぶ。
このような文言をフラッグシップの要件にすると、また結局その成果が見えないまま終わり、教育のイノベーションへと繋がっていかない。
日本の教育制度は「「這いまわっている」。
だが現実問題として、子供たちがいて学校がある。
だから教師は必要で教員養成は、その質的転換が必要になってきている。
必要なのは「向上」ではなく「質的転換」
だがそのような中で、このシリーズの命題である「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」に象徴されるように、教職という職業そのものにおける誇りや存在意義が、まるで社会に追い立てられるように揺らいでいる。
そして教育をよりよくしようという提案の中では、必ずと言っていいほど「教員の資質能力の向上」が謳われる。
2015年12月の中教審答申「これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について」では、「教員の養成・採用・研修の接続を重視して見直し、再構築するための方策について検討する(略)」(0.はじめに)背景として、「教員の資質能力の向上は我が国の最重要課題であり、世界の潮流でもある」(1.検討の背景)としている。
ではそもそも、教師の資質能力とは何か。
それを、これまで言われ続け、これからもおそらく変わることのない「不易」の資質能力と、社会の進歩と変化に応じた「流行」の資質能力に分けてみると、子どもが好きであることや、教科や教職に関する専門性、そしてコミュニケーション能力などは、今も昔も変わることがない、「不易」の資質能力だろう。
一方で、「流行」の資質能力は、過去の教師たちには問われなかったものがある。
例えば、ICTの活用や発達障害などの特別支援への対応など、押し寄せる新たな課題に柔軟に対応することができる力量が必要である。
あるいは「先生」と崇められたころとは違い、社会的評価が高いとは言えない教職において、保護者が教師を「見る視線」は、過去のものとは違う。
その視線に対応する資質能力が、新たに必要になっていると言えるだろう。
したがって、教師の資質能力の「向上」が必要なのではなく、教師の資質能力の「質的転換」が必要なのだということを言いたい。
その気づきに基づいた教員養成・教員採用・教員研修における三位一体型の「質的転換」に取り組んでいかなければ、国を支える教育の根幹を発展、強化することはできない。
次回から、具体的な教員養成、教員採用について考えていきたい。