2021年10月
「いじめ防止と道徳の授業の課題」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.57
前回(No.56)では、教師がいじめに介入することの有効性、困難について論考した。教師はいじめに介入しようとし(約半数の割合)、いじめを無くしたり減らしたりする有効な対応を行なった(介入した教師の約半数)という調査結果を […]
「教師は万能であるという偶像と、いじめへの対応」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.56
日本の教師の有能性といじめ 前回(シリーズNo.55)では、「いじめの発見」について考えた。そこでは、被害児童生徒に近い存在、とくに保護者や担任教師ほど、いじめを発見しにくくなっている実態がわかった。それとともに、いじめ […]
「いじめの発見・相談と教師」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.55
前回、海外のいじめについて考えてみたが、今回はいじめの発見と教師の役割について考えてみよう。 いじめの発見における実態 いじめは「誰が」発見するのだろう。No.53「いじめの潮流」の中で、 第1の潮流の中で「いじめ」の概 […]
「映画“ベストキッド”と海外のいじめ」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.54
海外のいじめについて 今、いじめと教師について探究しながら書いている。 前回はいじめの3つの潮流について考察したが、その中で第1の潮流の「いじめの発見」期に、日本ではいじめ研究が「鎖国状態」にあったため、まるで海外ではい […]
「いじめの3つの潮流」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.53
前回「No.52 いじめとトラブルの混在」では、 「いじめの芽を把握していながら、早期に対策しなかった教師」という構図について、あるいは 「いじめ」なのか、「トラブル」なのかわからない時があるという実態の中で、教師がそこ […]
「いじめとトラブルの混在」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.52
前回、教師といじめについて、 いじめを「未然に防止する」こといじめを「発見する」こといじめを「解決する」こといじめから子供たちを「守る」こといじめについて「教育する」こと について考えていくという道筋を示した。 今回は「 […]
「いじめと教師の資質」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.51
教師にとって、いじめとの対峙とは 前回、No.50では「いじめ」と教師の力量について考察した。名古屋市での中1いじめ自死事件について、第三者期間が「学校の過失」を指摘し、 「再発防止のため、教師が生徒の気持ちを洞察する能 […]
「やりたいことをやれる世の中に」
今この瞬間、東京で行われる学会へと向かう新幹線の中で原稿を書いている。新幹線に乗ることなんて、いつぶりだろう?COVID-19以来、学会はこれまですべてオンライン開催だったし、研究調査での国内出張も認められていなかった。 […]
「いじめと教師の力量」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.50
学校があるからいじめがあるのか 昨日(2021年10月13日)、「令和2年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」(文部科学省初等中等教育局児童生徒課)が公開された。 ニュースとなった […]
「リアリティ・ショックの”リアル”とは何か」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.49
今日、2人の看護学生からとても貴重な話を聞いた。 そこには、「リアリティ・ショック」の若齢化、あるいは早期化を感じさせる実態があった。 この2人の看護学生は、ぼくが非常勤で週1回の授業を担当している大学病院の附属大学の学 […]