「経験がものをいう世界」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.35

前回まで、新任教師のミヅキをモデルに、新任教師への「指導」の実態について語ってきた。
この懐古主義的な教師教育の実態を洗い出し、クリティカルに探究することは、これからの学校教育のイノベーションにおいて重要だと、ぼくは思っている。

ここまで、新任教師のサキやミヅキをモデルとして、新任教師が何を見て、何を感じてきたのかを概観したとき、そこにはベテラン教師や校長の存在があった。
そして、その教えに押しつぶされている新任教師の実態が見られた。

ベテラン教師と新任教師の関係に内在するもの

なぜそのようなことが起こるのだろう。
そこには、「経験」が幅を効かせる学校社会の構図が垣間見られる。
はっきりいうと、学校教育には積み上げがない。
積み上がっているのは個々の経験であり、そこには客観性やエビデンスがない。
それなのに、ベテランは経験だけで若手に物を言う。
だから伝わらないし若手が育たない。
このことは、教育実習生と担当の教師の関係に例えるとわかりやすい。

ぼくが教育大学の附属小学校の教員をしていたとき、毎年9月に教育実習生がたくさんくる。
公立の小学校の場合だと、一つの学校に3人程度の教育実習生がくる感じだが、附属小学校なので一度に54人の実習生がやってくる。

この1ヶ月はお祭りのようなもので、とても忙しいが楽しくもある。

ぼくが附属小学校に赴任して1年目の教育実習生は、今でもよく覚えている。
教育実習生というのは大学3回生で、当たり前だが学校や授業というものについて、ほとんど無知だと言える。
大学で教科指導法などを学んではきているが、模擬授業などはほとんど役に立たないだろう。
いざ教壇に立って授業をするとき、ほとんど徹夜で万全の準備をしていても、頭が真っ白になって、子どもたちの前で立ち尽くしている実習生の姿は何度も見てきた。

そんな実習生たちは、担当している教師に頼る。
担当の教師は、実習生に自身の経験上知り得たことを、
「こういう時はこうすると、授業はこうなり、子どもたちがこうなる」
と、まるで魔法のようなことを言って驚かせる。
そして、実習生は担当教員を神様のような目で見るようになる。

ぼくが初めて実習生を受け持ったとき、自分が知っていること、経験したことをすべて伝えていた。
加減がわからなかったし、毎日が気持ちよかった。
実習生には何を言っても尊敬されるからだ。
そして、自分がすごい教師なのだと勘違いする。

これが、ベテラン教師と新任教師の関係性だ。
新任教師がベテランの言葉一つひとつに感心することは当たり前で、それは「経験」が違うだけの話なのだ。

本来は、そのはずだ。

しかし、新任教師たちの言葉を聞いていると、リスペクトではなく、ベテランや校長への不快感や不信感が滲み出ている。

なぜだろう。

それは、新任教師たちの言葉から、何らかの答えを導き出すことができるだろうか。

卒業して教師になった新任たちが、多くの情報を寄せてくれている。
次回から、もう少し新任教師たちの言葉を拾い集めながら、より良い教師教育について考えていこう。




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