「いじめと教師の対応」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.32
小学校6年生の2学期から卒業までミヅキを苦しめたいじめは、今現在見られるパーソナリティーの奥に潜められている、
「あれから、人が自分のことをどう思っているのか、とても気にするようになった」
という傷を残した。
その傷はきっと、今でもミヅキの中に潜んでいることだろう。
そのときは耐え抜いた。
学校も休まずに日々を耐えた。
そのことによって、
「だから今の私がいる。多少のことでは負けない。耐えられる」
というある種のレジリエンスを形成したのかもしれない。
ただ、同時にこのいじめ体験は、ミヅキに大きな傷をつけたことも間違いない。
そして今、ぼくたちが暮らす日本では、それに耐えられなくなった子どもたちが、自らの命を絶っている。
だからいじめは、当たり前だが容認されるものではない。
(いじめについては、現在「学校安全、安全教育、子どもの命」をテーマに執筆を続けているnoteで取り組んでみようと思う)
いじめを受けている子どもに対して、重要になってくるのが「支え」だ。
ところで、明らかにいじめの構図になったミヅキに対して、担任の教師はどうしたのだろう。
担任は「威圧的」だった
ミヅキはその時のことを思い出してこう言った。
「担任の先生は、支えにならなかった。嫌いだった」
当時のミヅキの担任は、定年間際のベテラン教師だった。
ミヅキは小学生ながら、その「威圧的な」教師の様子を感じ取っていた。
このような教師はよくいる。
威圧して子どもたちを制圧する。
その学級はまるで、よく躾けられ、統率され、いい学級のように見える。
だがたいていの場合、学年が変わり、担任が変わると様相が一変する。
抑圧が解き放たれ、子どもたちは威圧しない教師の「弱み」につけ込む。
結局、威圧しているだけで、子どもが育っていたというわけではない。
だが、まるで次の担任は「できない」かのような印象を受ける。
そうではないことぐらいきちんと見抜き、教師が自分が楽をするために威圧して押さえ込むのではなく、子どものための教育をするべきだろう。
話しが逸れてしまったが、ミヅキの担任は「威圧的」だった。
学級でこのような、集団的ないじめが発生しているとき、教師は気づかない場合が多い。
子どもたちは当然、隠そうとするし、教師にはあまり相談しない。
ぼくがコーディネーターを務めている、ある自治体のいじめ防止サミットで、100名ほどの中学生が、異口同音に言っていたことがある。
「いじめを受けたり、周囲でいじめがあることを見ても、先生には相談しない。
余計にややこしくなるから」
これが実は実態だ。
だから、教師がいじめを発見できないことは、教師の能力を示すものではない。
大好きな先生だから隠し通そうとする、と言う構図もある。
だが、いじめの存在を知ったとき、発見したときに、教師の対応はそのいじめの状況を左右する。
助けることができる教師、いじめを助長してしまう教師、手を出さない教師。
ミヅキは担任の教師について、
「支えにならなかった。嫌いだった」
といった。
ミヅキの担任は、ミヅキを呼び出してこう言ったそうだ。
「あなたがいじめを受けている、と言うからいじめられるんだよ」
当然この教師は、いじめている側の話を聞いているだろう。
子どもたちは必ず、自己防衛をする。
それは当たり前で、一生懸命する。
その中でおそらく、
「私たちはいじめなんてしていない」
「ミヅキがあのときこう言ったから」
「私たちは、ミヅキと仲良くしたいのに」
この集団の中に、学級のリーダー的な存在がいた。
教師の信頼も厚かったのだろう。
そしてこのいじめは、ミヅキが我慢しなければならないいじめになった。
このいじめ体験が、ミヅキの現在のパーソナリティーの一部を形成している。
そのミヅキが教師になり、コロナ禍の中で新任としての一歩を踏み出していったとき、学校教育の中で何を見て、何を感じていったのだろう。
次回、もう少し新任教師のミヅキを追いかけてみよう。