「いじめに耐えて、今の私がいる」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.31
前回(No.30)、大学の「教師塾」には参加せず、自身の道を自身で切り拓くミヅキのパーソナリティーを紹介したが、そんなミヅキを作ったのは、小学校時代の体験かもしれない。
今回は、そのことについて話そう。
いじめられても学校を休まなかった。「なんでも耐えられる」
ここまでのミヅキのパーソナリティーからは意外なのだが、ミヅキは小学校時代にいじめに遭っている。
それは小学校の6年生のときだった。
その学年の女子には6人組の「目立つグループ」が存在した。
これはどの学校でもよくある構図だろう。
そして、ミヅキもこのグループに属していた。
この頃、グループでは人を「いじる」ことが日常的に行われていたという。
よく今でも言われるのが、「いじり」と「いじめ」の境界だ。
当時は「いじり」はいじりであって、いじめではなかったのかもしれない。
だから罪悪感がなかった。
ミヅキも同じように、グループで決められたターゲットに対して、さしたる罪悪感もなく「いじり」に加担していたのだろう。
ところが、まるで生き物のように様相は変化する。
ある日突然、そしていつの間にか、ミヅキがターゲットになっていた。
小学校6年生の夏休み明け、2学期のことだった。
思い出しても、何が原因かわからない。
いじめとは、そういうものなのかもしれない。
ともかく、なぜ自分がターゲットになったのかわからないまま、まるで生き物のようにいじめは加速していく。
きっかけはなんだったんだろう。
あるとき、同じ「目立つグループ」に属していた友達が、ミヅキに囁いた。
「あのグループにいたくない」
ミヅキは、その友達を助けたいと思い、同調した。
そこから、流れが変わった気がした。
ミヅキが同調した結果、仲が切れてしまった友達もいた。
何か、大人の世界の縮図でもある。「出る杭は打たれる」のように、目立つ存在は疎まれる。
ミヅキは1人の友達を救おうとした。
そして杭が出た。
あるとき、グループのリーダー格が「ミヅキが私の好きな男子と仲良くしている」と吹聴した。
これでいじめの構図が確定した。
それからの日々。
3人で下校していると、翌日、グループのリーダーにミヅキ以外の2人が呼び出された。
「どうしてミヅキと帰ってるの」
翌日から、ミヅキは1人で下校した。
給食のとき、ミヅキが並んでいると、後ろに並んでいた、かつては仲の良かった友達が、
「こいつの後ろはイヤだ」
と聞こえよがしに言った。
授業中に、手紙が回ってきた。
そこには、
「どうして学校に来てるの?」
と書かれていた。
ミヅキの心は、どんどん締め付けられていった。
しかし、ミヅキが学校を休むことはなかった。
それは、ミヅキの親の姿勢が大きく影響した。
父親は「こんなことでは学校を休ませない」と言い、母親は毎朝、学校に行けば嫌な思いをすることがわかっているはずなのに、ミヅキを学校に引っ張っていった。
この、ミヅキの親の姿勢、方法は、現在の学校教育における一般的な考え方と相反する。
現在はどちらかというと、「無理して学校に行かせる必要はない」「休みたければ休ませるべきだ」という風潮が強い。
それが子どものためだという流れがある。
ミヅキの親は、娘がどれほど傷ついていようと、学校を休ませることはしなかった。
その真意はわからないが、ただ、6年生の2学期から卒業まで続いたいじめの中で、学校を休ませてもらえなかったミヅキに残ったもの、築かれたものは
「だから今の私がいる。多少のことでは負けない。耐えられる」
というレジリエンスだった。
ただ、同時にこのいじめ体験は、ミヅキに大きな傷をもつけた。
「あれから、人が自分のことをどう思っているのか、とても気にするようになった」
ところで、明らかにいじめの構図になったミヅキに対して、担任の教師はどうしたのだろう。
次回は、そこから話していこう。