「教員採用試験における大学の思惑と学生の人生」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.30

前回(No.29)からの主人公はミヅキ。
ぼくのゼミを卒業して教師になり、2年目の日々を過ごしている。

前のモデルとなったサキの記事も、今回のミヅキの記事も、本人へのインタビューを元にして書いている。

卒業生の新任教師をモデルにすることの目的は、新任教師の思いやその日々を聞き出し、書くことによって、現代の教師の実態をリアルに探究することにある。

実際にぼくの中では、サキをモデルにした記事を書きながら自分に火がついてしまった。

新任教師が体験している状況を覆い隠すことはない。
見て見ぬふりをするような、あるいはそれを「当たり前」とするような、インビジブルで懐古主義的な職業特性が、学校、教育のイノベーションを阻んでいるのかもしれない。

では、ミヅキの話に戻そう。
今回は、ミヅキのパーソナリティーをよく表すもう一つのエピソードと大学のおける教員養成の実態について書こう。

「大学のおかげで教師になれたって、言われたくない」

ミヅキが通っていた大学では、そして今では多くの大学がそうだが、「教員採用試験対策講座」なるものがある。
それもひと昔前であれば、教育学系の大学、学部であってもどの学生が教員採用試験を受け、どの学生が一般就職に転向したかなど、教授陣は知る良しもなかったし関心もなかっただろう。
それはいい意味で、学生の主体を尊重していたからだし、そもそも教員採用試験の合格率(数)が大学の価値を左右するような、大学とはそんな矮小な存在ではなかった。

ミヅキの通う大学の「教員採用試験対策講座」は、3回生になれば「入会」を募集し、大手の公務員試験専門学校とタイアップして合格を目指す。
本来であれば専門学校に支払う金額の5割程度を大学が負担するという仕組みだ。

ぼくは、勤務する大学の教師塾の責任者だったことがある。
その大学の初めての教員採用試験ということもあり、全ては未知数だった。

数人しか合格しないという人もいたし、20人を越えれば初年次としては最高の結果だという人もいた。

およそ1年半、必死になって教採対策に没頭した。
あまりにも辛く、途中で投げ出そうとして、逆に学生に引き止められたこともあった。
言うなれば、全国大会で勝利することを目標とした部活動のようなものだった。

がむしゃらに学生たちと共に走り、目標とする人数を達成した。

全てを終えた後、ぼくには達成感ではなく、虚無感や罪悪感だけが残っていた。

たとえば学生は、故郷の教師になりたいという。
しかし、大学としては1人でも数多くの合格者を出したい。
だから、希望もしていないのに各自治体の教師セミナーを受講させ、1次試験免除を得られるようにした。

ある学生が、第1希望だった故郷の自治体の採用試験と、1年前にぼくに(強引に)進められて、しぶしぶ入った教師セミナーの自治体、両方の採用試験に合格した。
この場合、本来であればセミナーを受講し、1次試験免除をもらっていた自治体に就職することが「約束」となっている。

その学生が、ぼくのところにやってきた。

「先生、どうしてもセミナーの方の自治体の教師にならないとダメなんですか。私は、〇〇県の教師になりたいんです」

もし彼女がセミナーの自治体への就職を蹴れば、もしかすると大学の信用(その自治体からの)を失うかもしれない。
あるいは翌年の学生に迷惑をかけるかもしれない。
(結果的には、そのような影響は受けないし、そんなことがあってはならないだろう)

学生は「すみません」と言って泣いていた。

このときぼくは、(自分はなんてことをしてしまっていたんだろう)と、強烈な罪悪感に苛まれた。

学生の涙を見て、この学生の大切な人生を「左右しようとしていた」ことに、ようやく気づいたのだ。

ぼくはこの時、自分はずいぶん非難されるだろうが、そんなことはどうだってよくなっていた。

そしてこの学生に謝った。

あのとき、躊躇するきみを無理矢理セミナーに参加させた。
本当に悪かったね。
自分の人生なんだから、行きたいところで教師をするべきだ。

そして彼女は、希望する故郷の教師になって、生き生きと働いている。

このとき以来、ぼくはすっかり大学の採用試験対策からバーンアウトしてしまった。
ただ、大学のためではなく学生のために働きたいと思った(本来は皆がそうであり、その結果が大学の業績になればいい)。

それからは、自分のゼミの学生や、教えてほしいときてくれた学生のことはもちろん見るが、大学の暑苦しい採用試験対策には辟易してしまっているのが本音だ。

その大学の「教師塾」に関連したミヅキの行動についてだ。

3回生になったとき、ミヅキはぼくに言った。

「先生、私、大学の講座(教師塾)には入らない」

ぼくはミヅキに、それはなぜかと聞いた。

すると、驚くような答えが返ってきた。

「そんな講座に入って教員採用試験に合格したって、大学が指導したから合格したって言われる。そんなの癪だ。大学は実績を積むために私たちを利用する。そんなのに加担したくない」

ぼくは心底感心した。

すごい学生だと思った。
ゼミを選ぶとき、面談にきた学生が「先生は教採対策をしますか」と聞く。
ぼくは正直に、「ほとんど何もしない。勉強は自分でするものだ」という。

その結果、ぼくのゼミには本当に面白い学生が来てくれる。
そして結果的に、教員採用試験によく通る。
一度、ならず何度も、ミヅキに笑いながらこう言われた。

「先生は何もしてくれないから、自分で道を切り開くことを覚えた」

ミヅキは1人で勉強し、そして第1志望の自治体に1回で合格した。

ミヅキは、そんな学生だった。

「同調圧力」の類には一切相いれない。

そして、ミヅキの姿から誰もが学ばされる。

将来の舵取りをするのは自分自身なんだと。

次回、そんなミヅキを作ったのかもしれない、小学校時代の体験について話そう。

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