「新任教師はその学校を去った。なぜ若い芽を摘む状況が生まれたのか?」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.28
前回、新任教師のサキに対するベテラン教師の過度で異常な指導について、
「経験で若者をこき下ろす指導は、指導と言えるのだろうか。
この指導の結果、その学校でサキが大きく成長したのなら、一つの指導方法として認めよう。
だが、全くそうではなかった」
と述べた。
続きを話そう。
眠れなくなった新任教師
そのベテラン教師は退職後の再任用だったので、勤務は週に1〜2回だった。
だからサキがその教師と顔を合わせることを避けていた時は、それなりに避けることができていた。
しかし、6月に入った頃にはサキは、「避ける」ことに注力するエネルギーを失っていた。
その教師が出勤する前の日は、眠れない状況になっていた。
嫌で嫌で、たまらなかった。
こんなことが、あってもいいのだろうか?
No.26でサキを紹介するときに書いたと思うが、ぼくの目から見てサキはとても優秀な教師になる。
そう思わせる、天性の資質を持っていた。
その輝きを、定年退職後の教師が奪うのか。
サキはこんな学生だった。
サキが通っていた大学には全国大会に常連の部活があり、サキはその部長をしていた。
100人の部員を束ねる部長だ。
それなりの能力がなければ務まる役割ではない。
それだけに、とても忙しいし気の休まる間もない。
教師になることを目指していたサキは、部活の部長と教員採用試験対策の2足の草鞋で苦しんでいた。
周りの部活仲間が一時的に休部して、教員採用試験に集中するようになった。
ぼくはサキに、休部することを勧めた。
サキは学力に少し不安があったので、そのようにしたほうがいいと思った。
ぼくの「休部したらどうだ」というアドバイスに、サキは複雑な表情を浮かべていたが、「わかりました」と言って帰っていった。
その日の夕刻、サキから電話がかかってきた。
電話に出たときには、サキはすでに泣いていた。
そしてこう言った。
「私、休部はしたくない。部長なのに、途中で責任を放棄することなんてできない!
一生懸命勉強して、部活も教採も両立して合格する!」
そんな学生だった。
泣いても笑っても、いつも輝いていた学生だ。
そんなサキが、沈痛な日々を送るなど、ぼくは想像もしていなかった。
そのベテラン教師を避け、出勤する前日は眠れなくなり、そして、どんなに苦しくても部長を降りたり休んだりしなかったサキが、6月に一度、学校を休んだ。
責任感の強いサキが、担任する子供たちをおいて休んだのだ。
それから、何度か休むようになった。
サキを助ける教師はいなかった
サキを苦しめたのは、その学校にはサキを助けてくれる教師がいなかったことだ。
誰にも相談できずに、1人で苦しんだ。
そうして、サキの苦しい1年は終わった。
2年目に入り、サキを苦しめる別の存在が現れた。
それは、周りの教師たちだった。
2年目の5月に入り、ゴールデンウィークが訪れた。
サキにとっては、少しでも気持ちを休めることができる期間だった。
それでも、GWがあけてからのことを考えて、あらゆる授業準備をした。
サキはまだ、「やる気」を残していた。
GWが開けたとき、同じ学年の主任や教師から、「あなたは何も準備ができていない」と言われた。
職員室に入ったとき、その学年主任と教師が、サキのことを話していた。
サキの姿を見るとすぐに話をやめた。
(私のことを話してたんだな)
GW中も、サキが学校を休んだ日も、毎日のように学年主任はサキにメールを送った。
それは励ましではなく、追い込むような。
もうサキに力は残っていなかった。
食事もできず、眠れない日々が続いていた。
故郷の九州から、母親が心配してやってきた。
母親は、見たこともないくらい痩せ細ったサキを見て、「すぐに辞めなさい」と言った。
翌日、母親はサキを連れて、学校に行った。
理事長と管理職に現状を話した。
2人は、「そんなことで」と笑った。
5月31日、サキは担任する子供たちを残し、無念とともにその学校を退職した。
ぼくは今、この記事を書きながら悔しくて悲しくて涙が出そうになる。
サキには、こんな学校を紹介して本当に申し訳なかった。
そして、こんな学校や教師が、そのような教師よりも有能な若い教師を潰してしまうような学校社会に憤りを感じる。
これが、教員採用試験の倍率を下げている実態の一つではないか。
教育界には、抜本的な革命、イノベーションが必要だ。
そこに、経験だけの優劣は必要ない。
このような現状を、思いっきり洗い出していこうと思う。
ちなみにサキは、その学校を退職して別の仕事をした。
だがやはり教師がしたかった。
講師としてある自治体で勤め、採用試験を受けて合格した。
なぜ、そのような目に遭ってでも教師をしたいと思ったのか。
サキはこう言った。
「あのとき、いつも辞めたいと思っていたけど、子供たちは大好きだったし、その気持ちを抑えてくれていたのは子供たちの存在でした。何があっても、私自身が教えることや子供と関わることがやっぱり好きだとわかった。今は教材研究も楽しいし、止まらなくなって家でも授業のこと考えています」
若く、輝く教師を育てよう。
それが国を創る。