カンボジアのハンバーガーから学んだこと

「教師はなぜ・・・」シリーズはシリアスな内容が多いので、ここで閑話休題。

絶品のバーガーと景色

ぼくがカンボジアのことが大好きなのは、このブログで紹介してきたと思う。
カンボジアの何が好きなのかというと、「ひと」「熱気」「エネルギー」「トゥクトゥク」「カンボジアで暮らして生きる日本人」「謙虚さ」「勢い」・・・。
列挙すると際限なくなりそうだが、実はカンボジアで過ごす最も好きな時間は、プノンペンのリバーサイドのオープンテラスのカフェでハンバーガーを食べる瞬間かもしれない。

「行きつけ」のカフェ

ぼくは大学のカンボジア研修の最終日は、半日必ず自由時間を作る。
学生たちが、10日間で学んだカンボジアを、自分なりに整理し、好きな場所に行く時間にしたいから・・・というのはタテマエで、何よりぼくがそうしたいからだ。

ぼくは最終日の最後のひととき、必ず同じルーティンで過ごす。
ぼくのその行為を、現地コーディネーターで親交の深い上田聖也さんは、「親ガメの産卵」という。
意味もわからないが、とてもうまく言っている気がして、ぼくはそれ以来、最終日を「産卵日」などと言って納得している。

このリバーサイドの道をゆっくり歩く

どのようなルーティンかというと、まずは大好きなリバーサイドの道を端から端まで歩く。
歩いていると、いろんな光景を目にする。
裸で、素足で走り回っている子供。
物乞いにくる子供。
手を繋いで歩くヨーロッパの老夫婦。
川で釣りをする人たち。
遊覧船。
その全てが愛おしい。

そして汗をたくさんかいたら、毎年立ち寄るオープンテラスのカフェに入る。

すぐに、オーダーするのはハンバーガーとキンキンに冷えたアンコールビール。
かぶりつくと肉汁が溢れるバーガー。
ジャガイモ感たっぷりのポテトは少しすっぱめのマヨネーズにディップして食べる。

至福のひとときが広がっていく。

しかし、ここで必ず出会う、もうひとつの光景がある。

物を乞う人々への対応

このようなリバーサイドのカフェには、地元の人はこない。
ともかく現地の物価からすると高い。
観光客か、リバーサイドのホテルで暮らす欧米の裕福な人が過ごす場所になっている。

だから、必然としてそこには物を乞う人が寄ってくる。

たとえば幼い兄弟が、手編みのミサンガや文房具なんかをたくさん持って、切ない目で寄ってくる。
よく言われるのは、彼らに施しはしてはいけない、ということ。
ぼくもある光景を見てショックを受けたことがある。


幼く痩せ細った兄妹が、小さな赤ちゃんを抱きながら路上で大きな声を上げて物を乞う姿があった。
観光客が何か、お金と思うが渡した。
幼い兄妹は頭を下げながら、走って路地に消えた。
路地にはでっぷりと太った母親らしき人物が座っていて、兄妹が渡す紙幣を仕舞い込み、手で幼い兄妹に合図した。「行っておいで」

リバーサイドの子供たち

施しをしてはいけない、というのは、結局のところ幼い子供たちをそのような働き手にしてしまっているのだ、という反転的な発想から言われることだ。

しかしそんなことよりも、ぼくはそのような場面に出会ったときの自分自身から、日本のインクルーシブ教育の程度の低さを実感する。

そんなあるとき、カフェでそのひとときを満喫するぼくの目の前に、四肢のない障がい者が現れた。
地雷で手足を失ったのだろう。
木の板に腹を乗せ、顎で道を「けり」、切断された両右腕のわずかに残された部分にたくさんの、偽物のレイバンを引っ提げてぼくの方に寄ってきた。

さあ、どうすればいいのか。

ぼくのそのときの行動が、日本の教育の形なのか。
それとも、ぼくが愚鈍な人間なのか。

ぼくは、彼から「目を逸らした」。
(あっちへ行ってくれ)

彼らは「観光客」の態度を敏感に察する。
四肢のない彼はぼくに近づこうとし、そしてぼくの態度を察し、離れていった。

その直後、ぼくはずっと忘れられない光景を目にする。

四肢のない彼が路上に出た。
そこにバイクに乗った夫婦が通りかかった。
バックシートに乗っていた奥さんが四肢のない彼を目にした瞬間に、運転する旦那さんの肩を勢いよく叩いた。
(止まって!)

夫婦は四肢のない彼が近づいてくるのを「待ち」、そして笑顔で話しかけた。
そしてポケットから何枚かの紙幣を出し、四肢のない彼に施しを与えた。

ぼくはその光景に、大きな衝撃を受けた。
その夫婦はクメール人夫婦だ。
ぼくは観光客で、彼らよりはるかに裕福なのだろう。
でも、四肢のない彼から目を背け、クメール人夫婦は笑顔で語りかけて施しをした。

この違いはなんなのだろう。
「人の優しさとは」
「幸せとは」
「お金とは」

カンボジアは、そのような命題をいつも与えてくれる国だ。




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