「それは新任教師に対するベテラン教師の指導か、いじめか?」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.26
さてここまで、教員採用試験の倍率の低下に関連し、その要因を探究するべく、教師の不祥事やメディアの動向、そしてTALIS2018による教員の国際調査を検討してきた。
たとえばTALIS2018の調査結果として、最後にこのデータを紹介しておきたい。
設問の回答 | 日本の割合 | TALIS平均 |
「現在の学校での仕事を楽しんでいる」 | 78%(最下位) | 90% |
「この学校をよい職場だと、人に勧めることができる」 | 62%(最下位) | 83% |
「もう一度仕事を選べるとしたら、また教員になりたい」 | 55% | 76% |
OECD COUNTRY NOTE RESULTS FROM TALIS 2018 : VOLUME Ⅱ
ここまでの結論として、社会も、そして教師自身も教師という職業に対して「期待」や「誇り」に乏しいという構図が見えてきている。
実際に、教育現場では何が起きているのか。何も起きていないのか。それはどのような温度で日々が送られているのか。教職に失望する瞬間とは、どのような時に訪れるのか。
その瞬間を振り返りながら検証することは、日本の教師の「憧れ」を取り戻すには有効なのだろうか。
答えはわからないが、まずはやってみよう。
ぼくの近くで教師になっていた、若き夢のあとを追ってみたい。
採用試験に落ちて、私立の小学校で勤務した新任教師
ここで登場する主人公は、ぼくのゼミから卒業して教師になったサキ(仮名)の話だ。
サキはぼくから見ると、教師になる上での天性の資質を持っていた。
学力はイマイチだったが、はっきり言うと小学校でいい授業をする程度の知識技能は、後からいくらでも得ることができる。
しかし、子供や人の前に立ったときのコミュニーション力、あるいはその瞬時の「輝き」とでもいうような、生まれ持っての「資質」は後からつけることは難しいだろう。
サキはそれを持っていた。
ぼくは、サキにどうしても教師になってほしかったし、彼女もそのことに(自身が教師になること)疑いもしていなかったと思う。
一度そこに、迷いが生じたことがある。
3回生で体験した教育実習で、サキが思い描いていた学校や教師の理想、偶像が打ち砕かれたのだ。
その学校の教師に、笑顔がなかった。
ただただ、皆がバタバタとしていた。
そして職員室に行くと、常に誰かの悪口が聞こえてきたという。
何よりサキを失望させたのは、その悪口の対象が子供だったときがあったことだ。
職員室にいることが苦痛になったサキは、放課後は実習生用に準備されていた部屋にこもっていたという。
この体験、教育実習は、サキの教師像や夢を変容させた。
マイナスに。
サキはその後、そんな自身の迷いと闘いながら、教員採用試験に取り組んだ。
そして無常にも、4回生の夏の教員採用試験に合格することができなかった。
ぼくは、サキの迷いを封じ込めるかのように、信頼する校長先生がいる私立小学校にお願いし、そこに就職させた。
そこで実践的に学びながら、公立小学校の採用試験に再チャレンジすればいいと考えた。
サキは校長先生と会い、そして喜んでその学校に就職した。
しかし、事態が一変したのは、就職するとその校長先生がいなくなっていたことだった。
ご本人にとっても予想外の人事だったようで、サキは少し心細くなったことだろう。
だからと言って学校そのものが変わるわけでもない。
サキの新任教師としての人生が、そこでスタートした。
しばらく連絡もなかったが、就職して3ヶ月ほど経った頃だろうか、サキから電話がかかってきた。
表向きは、国語の授業作りの相談だった。
しかし、ぽつりぽつりと、それまでの3ヶ月の教師生活と、現状について話し始めた。
そこには、サキに対するベテラン教師による、理解し難い「指導」の話があった。
(次回へと続く)