「生まれ変わっても教師になりたい、そう思える職業か」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.20

「生まれ変わっても教師になりたい」と回答できない日本の教師の現状

前回(9月2日、本シリーズNo.19)では、TALIS2013の結果から、日本の教師の「多忙感」について検討した。
この調査で、日本の教師自身がその多忙感を実感したのではないだろうか。
なんと言ってもこの調査でぼくがショッキングに捉えたのは、

「生まれ変わっても教師になりたいか」

と言う設問に対して、日本の教師の肯定的な回答率が非常に低かったことだ。
生まれ変わったらあなたの彼女に(彼氏に)、あるいは夫に(妻に)になりたくない、という回答はとても傷つくものだろう。
それは、現在の自分の魅力を大いに否定されたことになるからだ。
そして、現状を後悔していることになる。

それほど残念なことはない。

しかし、日本の教師の多くの中に、そのような感情が働いていることになる。

このことは、そう言われている側に多くの原因がある場合が多い。
否定されている側に原因があるのだ。

要するに、

「生まれ変わったら、あなたの彼女にはなりたくない」

と恋人が言ったとき、それは言われた彼氏の側に原因がある。

魅力がないということだ。

TALIS2013における「生まれ変わっても教師になりたい」と設問への肯定的な回答が低いということは、

”日本においては、教師という職業の魅力があまり感じられていない”

ということに他ならない。

では、その要因について、最新の統計であるTALIS2018を検討してみよう。

まず、「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」と言うテーマに関連が強いと思われる「教職に対する教員・校長の満足度」の結果について見てみよう。

教師という職業への満足度

「教職は社会的に高く評価されていると思う」

との記述に「当てはまる」「非常によく当てはまる」と回答した教員の割合は、日本は34%だった。
この結果は、参加国平均の26%を上回った。
Japan – Country Note – TALIS 2018 Results (以下、ノート2018)によると、「教職は社会的に高く評価されていると思う」と回答した教員の割合は 、2013 年から 2018 年の間に、TALIS 参加国・地域の半数近くで増加したということだ。
そして日本では、この期間に 6 ポイント増加している。
したがって、この質問事項については日本が飛躍的に上昇したかというと、そうではなさそうだ。

ここでは、そのポイントがアップしたかというよりも、66%の教師が「教職は社会的に高く評価されている」と思っていない、という結果に注目するべきだろう。

このシリーズのNo.2でぼくはこう述べている。

”ひと昔前であれば、教師は憧れの職業であり、羨望の的だった。
小学生のころ、友達の親が学校の先生と聞けば、その子供自身が周囲から尊敬され、よくできる子供に違いないという評価が労せずして得られたものだった。もちろん、その評価はその子自身の実態に見合わず、単なるプレッシャーとなる場合もあっただろうが。
それほど、教師という職業は尊敬され、憧れられるものだった”

この頃であれば、TALIS2018における「教職は社会的に高く評価されていると思う」という設問への結果は確実に違っていただろう。

教師は「誇りに思える」職業だった。

ぼくのかつての小学校教員時代の同僚(現在は教頭先生をしているらしい)は、ある時こんなことを言っていた。

「ぼくは教員採用試験に合格して、教師になれたとき、嬉しくて嬉しくて、毎日学校に行っていました。土曜日も日曜日も。校門を入っていく自分が誇らしかった。教師なんだぞって」

今、教師になった若手は、どれくらいの人がこのように思っているだろう。
そして、こう思える職業でなくてはならないし、そう思える職業であるはずだ。

何が変わったのか、TALISの調査結果から、次回もう少し検討していこう。

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