2021年9月
「大学と小学校、教育実習におけるそれぞれの役割」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.40
前回の論考の最後に、大学の教育実習に関わる事前事後指導を含めた取り組みは、実習生の夢を左右するほどの質を、保障することができているのだろうか。またあるいは、実習生を受け入れる側の学校は、実習生の夢を育む体制と制度は整って […]
「教育実習の制度と意義」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.39
「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」という命題をに対するひとつの道筋として、教師を志す学生に焦点を当て、何を学んだか、またそこで何を感じたのかを探究していくことは重要な試みだろう。 前回、教育実習は学生にとって、 […]
「教師への憧れと教育実習」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.38
本シリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」は、これまでにNo.37まで書いてきた。ここで、これまでの展開をチャプターしてみると、以下のようになる。 序章:「教師像の変化」 No.1~No.5 第1章:「コロナ […]
「鍋蓋式と職員室」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.37
これまで、新任教師の言葉から「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」という命題について論考してきた。ここから、少し論理的に考えていこうと思うのだが、前回の投稿で書いた自分の言葉に少し引きずられる。 それは、「職員室」 […]
「年功序列の弊害」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.36
年功序列と経験主義と、給与 前回、教師の世界は「経験がものをいう世界」という見解を示した。実際に、教師の世界は完全なる「年功序列」だ。ぼくは若かりし頃、おそらくとてもエネルギッシュで尖っていたころだろう。自分より年齢が上 […]
「経験がものをいう世界」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.35
前回まで、新任教師のミヅキをモデルに、新任教師への「指導」の実態について語ってきた。この懐古主義的な教師教育の実態を洗い出し、クリティカルに探究することは、これからの学校教育のイノベーションにおいて重要だと、ぼくは思って […]
「教師の自主性、専門性はどこにあるのか?」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.34
教師の世界が「ぬるい」と感じ、自分自身の中の「熱さ」を失ったように感じた新任教師のミヅキは、(教師を辞めようかな)という思いがよぎるようになった。その後、コロナ禍の学校における新任教師としての日々の中で、「指導」を受ける […]
「多忙はマイナスなのか?」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.33
ここまで、新任教師のミヅキのパーソナリティーについて、小学校時代のいじめ体験や、大学での様子について紹介してきた。 そして教師になったミヅキは、学校や教師と言う職業について、何を見て、何を感じてきているだろう。 教師とい […]
「いじめと教師の対応」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.32
小学校6年生の2学期から卒業までミヅキを苦しめたいじめは、今現在見られるパーソナリティーの奥に潜められている、 「あれから、人が自分のことをどう思っているのか、とても気にするようになった」 という傷を残した。その傷はきっ […]
「いじめに耐えて、今の私がいる」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.31
前回(No.30)、大学の「教師塾」には参加せず、自身の道を自身で切り拓くミヅキのパーソナリティーを紹介したが、そんなミヅキを作ったのは、小学校時代の体験かもしれない。今回は、そのことについて話そう。 いじめられても学校 […]