災害時における教師たちのノブレス・オブリージュ ~そこにある「使命感」と「多忙感」~ 15 被災地を訪れた学生たち② 〜子供の安全は、誰が守るのか〜

前回(8月9日「被災地を訪れた学生たち」)に続いて、今回から熊本における学生の体験、学びについて記述しようと思う。

登校の安全を見守る教師の仕事

安全指導体験に出発!

前泊したホテルを出発し、早朝に熊本県益城町立広安西小学校に到着した学生たちは、それぞれの位置に向けて出発した。
7時半くらいから位置についたが、小学生は続々と登校路を歩いてきた。
児童数の多い大きな小学校なので、たくさんの子供たちが学生たちの前を通っていく。
それにしても、子供たちはきちんと並び、集団登校を行っていた。
ぼくはそれぞれの配置ポイントを回りながら学生たちの様子を観察していたが、子供たちに笑顔で挨拶しながら、危険なポイント通らないように工夫していた様子だった。
この仕事は、教師にとっては本来の仕事ではない。
地震災害がもたらした職務と言える。
2020年には「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について」(平成31年、中央教育審議会答申)が出され、「登下校に対する対応」は基本的には学校以外が担うべき業務と明示された。
これはまさしく、教師の多忙化論に対応した施策だろう。
しかし、では子供は誰が守るのか、という視点が必要だ。
震災から少し離れるが、子供の安全を守るという視点で防犯をテーマに考えてみたい。

子供の安全は、誰が守るのか

ぼくの意見では、日本はそろそろ「親が子供を守る」という意識を持つべきではないかと思う。
今まで日本は平和だった。
登下校で1人で歩いていても、「何も起こらず、子供は無事に家に帰ってくることが当たり前」だと思っていた。
今でも思っている。
しかし、以下のグラフを見てほしい。

これは、ぼくが講演でいつも提示するものだが、連れ去り事件の発生件数を示したものだ。
未遂や未報告、あるいは子供が恐怖心を抱く状況だったが、警察に報告することはなかった、という事案も含めると、もっと多く発生しているのではないか。
これが現状だ。
2004年の奈良小1女児殺害事件(楓ちゃん事件)以降、しばらくは連れ去り事件も減少しているようだ。
これは、楓ちゃん事件で全国的に、「登下校時間の不安全」に気づき、シルバー世代を中心にした登下校安全パトロールが広がったためだと、ぼくは分析している。

カンボジアの学校の前。親は我が子を、学校の中まで連れていく。「なぜ?」「危険だから」

しかし、2014年に発生した神戸市の事件で注目されたように、見守りパトロールが減少しており、継承されていかないという課題が出てきている。
子供の安全を、シルバー世代の地域住民に任せきっている様相は、決していいものではない。
今、日本の現状としてダブルインカム家庭やシングルの家庭が多くなっている。
だが、我が子を守のは親の役目であるという認識を、改めて持つべきではないだろうか。

熊本県の被災地で、教師が安全パトロールをする体験を学生たちは実践した。
のちのレポートで、ある学生がこう言った。
「子供を守る教師はかっこいい」

(次回へと続く)




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