災害時における教師たちのノブレス・オブリージュ ~そこにある「使命感」と「多忙感」~ 13 避難所の開設と運営の実態③
過去の教訓を生かした避難所開設・運営の必要性
本稿ではこれまで、避難所運営において、特に熊本地震において教師が果たしてきた役割について述べてきた。
それは法的に見ると、教師が担うことを義務付けられているのではないということがわかった。
だが誤解を招かぬように言っておくと、ぼくたち(松井と岡村先生)は、教師は避難所運営に携わるのが職務ではないと言っているのではない。
災害時、学校が避難所となったとき、教師が避難所運営に積極的に参画することによって、円滑に避難所が運営されてきた実態については、これまで述べてきたところだ(例えば熊本地震における益城町立広安西小学校)。
しかしながら、先に述べてきたように、あるいは本シリーズ「災害支援者としての教師の役割」で熊本地震における避難所運営の実態を例に挙げ、
「避難所となった学校において、教師たちは役割分担が決められていない状況の中、災害時に救援する職業として、目の前の災害に救援する役割を担うことになる。そこにあるのは、災害時の救援対策訓練を受けた職業的災害救援者ではなく、教師としての使命感で救援に従事する教師たちの姿なのである」
と述べた。
そのことは、熊本地震に始まったことではない。
熊本地震からおよそ20年前に発生した阪神淡路大震災において、避難所運営に従事した教師たちの苦渋は、以下の言葉に強く表れている。
「避難者に対して、我々教職員も同じ被災者なんだといくら説明してもわかってもらえなかった」
「阪神・淡路大震災の避難所となった学校における教師の研究」(西田)
この教師による言葉は、避難所における活動の中での苦渋が表されているのではないか。
さらにはこのような記録もある。
避難所における自治組織のリーダーが、教師に向けて言った言葉だ。
「自分たちは被災者のために働いているのに、教師たちは何もせずに給料をもらっている」
そして、
「教職員がどんなことをしてきたのか、知る人は少なかった」
と述懐する教師もいた。
ぼくたちは今回の熊本地震における教師の避難所における役割を調査し、1995年の教訓は生かされているのかと考える。
避難所において、教師がその「使命感」で避難所の開設・運営に参画していることを、当然として受け止めて未来につなぐのではなく、災害時、教師の役割は、その職業的特性から非常に有効かつ必要であることを認識し、教師も「職業的災害救援者」として認識され、その役割を「正式に」担えばいい。
ただし、教師は学校教育に携わることが第一義であることが再認識され、避難所開設から運営のリーダーの移譲、運営の中での教師の役割(それはトイレの保管・管理ではなく教育的な)を明確にしていくべきだ。
それが教訓を生かした、実際的で有効な「避難所運営ガイドライン」ではないだろうか。
来たる南海トラフ地震や首都直下型地震で、私たちはこれまでに経験したことのない災禍に見舞われるかもしれない。
そのときにこそ、過去における被災者、被災地の教訓を生かしたガイドラインが作成され、生かされることが必要だろう。
(次回へと続く)