2021年7月

「優しさの国」カンボジアで
教育者のグローバリズムⅢ 「カンボジアの経済成長と幸福度」

2015年、2歳のスラムの子、トナンの純粋無垢な瞳に魅せられた。2016年、3歳のスラムの子、トナンはその幼い背中に彼なりの哲学を携えていた。2017年、4歳のスラムの子、トナンは笑顔を取り戻していた。そして2018年、 […]

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もうひとつのカリキュラム論
教育者のグローバリズムⅡ 「初めて名前を知った 4歳のトナン」

前回、「教育者のグローバリズムⅠ トナン少年との出会い」では、ぼくがカンボジアという国に強烈な魅力を感じるきっかけのひとつとなった、「トナン少年」との出会いについて述べた。 ぼくが感じた、「強烈な魅力」とは何だったのだろ […]

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もうひとつのカリキュラム論
教育者のグローバリズムⅠ 「トナン少年との出会い」

カンボジアに関するブログ記事は、前回まで「カンボジア研修とコロナ」と題して7回のシリーズで書いた。今回からは、カンボジア渡航を機に出会った人々について記したい。第1回目は、ぼくがカンボジアに惚れ込んだきっかけとなった、ス […]

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教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか
教師と社会② 「教師の不祥事と教員志望者数に関連はあるのか」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.12

「憧れ」と不祥事の関連 前回、「教師」カテゴリーの「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」No.11で、教師の不祥事について取り上げた。とくに神戸市で発生した「教師いじめ」事件を取り上げ、加害者の処遇(のぬるさ)と教 […]

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「優しさの国」カンボジアで
カンボジア研修とコロナⅦ 2020年の研修は、突然の終わりを迎えた

ここまで、カンボジア研修の3つのプログラムと学生の様子について紹介してきたが、2020年2月のカンボジア研修とコロナに話を戻そう。 大学から来たショッキングな通達 研修は初日から順調に進んでいたのだが、研修開始から4日目 […]

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「優しさの国」カンボジアで
カンボジア研修とコロナⅥ いのちのディスカッションプログラム

「命の価値」は国によって違うのか 「カンボジアでは学校で子供が被害に遭うような事件は起こりません。だって心があるから」 この言葉は、ぼくが2018年9月にプノンペン王立大学で学生に講演を行った時に、プノンペン大学の学生が […]

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教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか
教師と社会① 「教師の不祥事と懲戒処分」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.11

本シリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」ではここまで、「コロナ禍の新任教師」にスポットをあててきた。稀有な存在(コロナ禍の新任教師という意味で)である彼らが語った言葉は、ときに力強く、しかし戸惑いを隠せない […]

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「優しさの国」カンボジアで
カンボジア研修とコロナⅤ スラム炊き出しプログラム

「違和感」から生まれたプログラム ぼくたちのカンボジア研修は、例年「ストゥーミンチェイ地区」のスラムを訪問する。ここで出会ったトナン少年が、ぼくがカンボジアと言う国が大好きになったきっかけのひとつだが、トナンについては別 […]

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「優しさの国」カンボジアで
カンボジア研修とコロナⅣ 授業体験プログラム

本稿では、カンボジア研修における考案した3つのプログラムについて紹介したい。今回は、まず「授業体験プログラム」を紹介しよう。 「笑顔で授業」することの強い実感 これは、将来教師になることを志す学生が、カンボジアの子供たち […]

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