災害時における教師たちのノブレス・オブリージュ ~そこにある「使命感」と「多忙感」~ 6 災害時における教師の職業的有能性

本シリーズの前回の投稿(7月29日 シリーズ5)では、震災発生時に突然「避難所」となった学校の実態について述べた。
その様子について、井手先生(シリーズ1を参照)は当時について、

「学校に駆けつけたらすでに運動場は車でいっぱいだった」
「直ちに避難所として開設した」

といった。
本来、避難所を開設するのは行政の防災対策本部だ。
しかし、突然避難所となった学校は、井手先生が報告する実情がある。
これが「教訓」だ。
では、教師はそこで何をしたのか。
今回は避難所運営のリーダーについて考えてみよう。

避難所におけるリーダーシップ

清水ら(1997)の研究(清水裕・水田恵三ほか、1997、阪神・淡路大震災の避難所リーダーの研究、社会心理学研究13巻1号)と、25カ所の避難所に関する基礎データから、「リーダーの職業」は「当該施設の管理者」が23%で最も多く、「リーダーになった動機」は「仕事の立場上」が11人で最も多い。
リーダーの年齢は「50歳代」が23%で最も多くなっている。
そして、避難所の種類は「学校」が53%を占めて最も多かったことから、「50歳代」の「学校」の「施設管理者(校長)」が避難所のリーダーとして主体的に避難所運営に関わったであろうことは、想像できるのである。


そして、同研究は、「リーダーの年齢は50歳以上と高く、教員が中心である」と述べ、「他の機会にリーダーになった経験(例えば学校教員の場合には、児童・生徒の教育上のグループ分けや整列訓練など)を持った人がリーダーである場合が多い」ことを明らかにし、教師の職能と避難所におけるリーダーシップとの関連について触れている。
そして、これらの要素に井手先生も該当するのであり、1997年に発生した阪神・淡路大震災からおよそ19年後に発生した熊本地震においても、やはり避難所におけるリーダーの存在要素は変わっていないということが考えられる。
そのことは、教師の、災害時における職業的役割の有能性が示唆されていると言えはしないだろうか。

災害時における教師の職業的有能性

井手先生は、震災後の避難所運営の中で、様々なアイデアを発揮して施策を続けた。
中でも特徴的なものとして、「内閣制」というものがある。
各教員の特性等を生かし、避難所運営における担当箇所や役割に応じて大臣名をつけた。
避難者の健康管理と増進のため、ラジオ体操を放送する「放送大臣」や、生活弱者支援の工夫を考え、企画、実行する「豊かさ倍増大臣」などである。
そのきっかけは、

「様々な負担を負いながら職務に当たる職員の、負担軽減策に苦心するうちに」

考え付いたことがきっかけであったという。
そして井手先生は、

「地震後、(教師たちは)自分自身のことは二の次にして児童の安否確認などにあたっていた。ここは、『教師の性(さが)』というところでしょう」

と述べた。

教員の適正に合わせて、役割を大臣に。 井手先生のアイデアは、震災による教員の「多忙感」をチームワークに変えた。

本シリーズの中で、

「避難所となった学校において、教師たちは『役割分担が決められていない』状況の中、『災害時に救援する職業』として、目の前の災害に救援する役割を担うことになる。そこにあるのは、災害時の救援対策訓練を受けた『職業的災害救援者』ではなく、教師としての『使命感』で救援に従事する教師たちの姿なのである。」

と述べた。教師の使命感からくる災害時の職業的有能性を、明確な災害支援対策として位置づけ、分担し、だからこそ教師は災害支援者なのであるという認識を明確にしていくことは、今後における災害時の有効な避難所運営の模索においても、あるいは教師の、災害時における職業的役割の明確化においても、必要となってくる視点ではないだろうか。

(次回へと続く)

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