豪雨災害から命を守るには② 球磨川流域を訪問してⅠ
今日、2021年7月11日現在、大雨は鹿児島県や島根県などで大きな被害をもたらしている。
人命が失われるような被害が生じないことを「祈る」しかない。
そう。こういう時、ぼくたちには何をすることもできないのだ。
それは、相手が自然現象だからに他ならない。
しかし、これまでの教訓と叡智を生かして、「難を避ける」(実質的な避難)ことはできる。
前回「豪雨災害から命を守るには①」では、過去における豪雨災害を表にして、そこから見えてくるものを探究することを試みた。
ぼくが何度も、各所で行ってきたことだが、事件、事故、災害においては「教訓から学ぶ」ことが重要だ。
過去において、「7月豪雨」と名付けられた豪雨災害は複数回あった。
ここでは、昨年の今ごろ、熊本県を襲った「令和2年7月豪雨」について、その後12月に訪問したときのことを報告したい。
球磨川流域を訪問(2020年12月)
2020年12月。コロナも一時的に落ち着いていて、大学からも出張が許可されたので、ぼくと岡村先生は1年以上訪れていなかった熊本に向かった。
岡村先生は大学の同僚であり、研究協力者であり、よき友人だ。
熊本地震(2016年4月)以降、何度も一緒に熊本に調査に行った。
今回の球磨川流域調査は、現在、山都町教育庁で、元益城町立広安西小学校校長の井手文雄先生のご協力で実現した。
熊本地震以降、いつも井手先生には研究協力をいただいてきて、今回も大変お世話になった。
まず、熊本県の市内にある井手先生のご自宅にレンタカーで行き、災害救援車両のステッカーや、通行許可証の準備をした。
そんな準備をしながら、井手先生がおられなければ、ぼくたちは球磨川流域も走ることはできなかったのだと実感した。
まず人吉市(死者20名、負傷者50名、床上・床下浸水4681棟など)へと向かい、青井阿蘇神社を訪れた。
橋が壊れ、至る所に土砂の跡が見られ、それだけでもぼくたちにはショッキングな光景だったが、井手先生は、「ずいぶん片付けられたな〜」と安堵されているようだった。
ぼくは電柱に貼られた過去の災害の跡を見た。
過去の豪雨災害ではここまで浸水した、と示すものだった。
何度も豪雨災害が発生しているところなのだ。
ぼくはその指標を見ながら、複雑な想いに駆られていた。
(なぜ、災害の多いところだとわかっているのに、人々はそこに住み続けるのだろう)
このことは、多様な方向から考える必要があるが、球磨川支流の川辺川ダム建設に関わる人々の思いにも関連がありそうだ。
「ふるさと観」とでも言おうか。
球磨川の清流を守りたかった思いもあったのだろう。
多くの災害で、「この家を、町を捨てるぐらいなら、ここで死んだ方がいい」
というふるさとや住処への強い執着(思い)は聞かれるところだ。
「避難」とは、物理的に災害から逃れる以外にも、心情的なコントロールが必要なのかもしれないと思う。
(次回に続く)