教育者のグローバリズムⅡ 「初めて名前を知った 4歳のトナン」
前回、「教育者のグローバリズムⅠ トナン少年との出会い」では、ぼくがカンボジアという国に強烈な魅力を感じるきっかけのひとつとなった、「トナン少年」との出会いについて述べた。
ぼくが感じた、「強烈な魅力」とは何だったのだろう。
トナン少年に、ぼくは将来の夢を聞いた。
3歳のトナンは、即座に「Doctor」と答えた。
当時、カンボジアの首都プノンペンにおいてさえ、小学校の就学率は100%ではなかったし、卒業となるともっとその率は下がったと思う。
ましてやスラムの子供達ともなると、家の仕事の手伝いもあって就学率はもっと低かったかもしれない。
とはいえ、想像していたよりも子供たちは学校に通い、学んでいる状況にも出会ってはいたが、日本に比べると比較にならない程度だろう。
その中で、堂々と将来、医者になりたいと言ったトナンの輝きにぼくは圧倒された。
そんな光景に、カンボジアで何度も出会った。
途上国の人々。
でも、ぼくたち日本人よりも笑顔で生きている。
そして、「明日は今日より幸せになれる」と生きている。
2017年 トナン4歳 プレゼント(寄付)の意味
2017年の研修で訪れた訪れたストゥーミンチェイのスラムで、トナンはぼくのことを覚えてくれていたようだった。
この年、ぼくは初めてスラムの子供たちにプレゼントを持参した。
このあたりが日本人の感覚なのかもしれないが、毎年スラムを訪れながら、何かをプレゼント(寄付)するべきだという気付きがなかった。
もちろん、大学から大量のお菓子はプレゼントするが、個人的に何かしようという気付きはなかった。
しかし、2017年、3回目のカンボジア渡航を前に、ぼくは日本である光景を思い出していた。
2015、2016年に訪れたスラムで、子供たちは懸命にボロボロの紙や壁に、芯が折れた鉛筆やペンで字を書き、ぼくたちに披露してくれた。
まともな文房具もない中で、医者になりたい、教師になりたい、看護師になりたいと勉強する子供達の姿を思い出した。
だからその年、大量のボールペンをスラムの子供たちにプレゼントした。
ただぼくは、トナンの家だけには特別、多めの文具と、トナンのお父さんにはビール数本をプレゼントした。
以来、ぼくはトナン家族と大の仲良しになっている。
この年、スラムを訪れたとき、トナンのお父さんがトナンのカバンを持ってきてぼくに見せた。
トナンはこの年から学校に通っていた。
そのリュックには、名前が書かれていた。
「トナン」
ぼくは、初めてそのとき、大好きな少年の名前を知った。