教師と社会① 「教師の不祥事と懲戒処分」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.11
本シリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」ではここまで、「コロナ禍の新任教師」にスポットをあててきた。
稀有な存在(コロナ禍の新任教師という意味で)である彼らが語った言葉は、ときに力強く、しかし戸惑いを隠せない言葉だったと思う。
ここからは、「教師と社会」に目を向け、なぜ現在のような状況、教師が憧れの職業ではなくなっている状況について探究してみようと思う。
懲戒処分にみる教師の不祥事
2019年の秋のことだった。
ぼくたちの元に信じがたいニュースが飛び込んできた。
いわゆる「教師いじめ事件」である。
神戸市の公立小学校の教員4人が、同僚の20代教員に「激辛カレー」を無理矢理口に押し込むなどのいじめをしていたというものである。
このシーンの映像は繰り返し放映され、まるで全国のそこかしこで教師いじめがあるような報道がされるなど、世の関心はエスカレートした(報道によってエスカレートさせられた)。
実際に、教師の不祥事は数多く報告されている。
2018年度の文部科学省による調査報告(文部科学省「平成30年度公立学校教職員の人事行政状況調査について」)では、「わいせつ行為等により懲戒処分等を受けた者は、282人(0.03%)で、昨年度 210人(0.02%)から増加」と報告されている。
また、「体罰により懲戒処分等を受けた者は、578人(0.06% 懲戒処分141人、訓告等437人)で、平成29年度585人 (0.06% 懲戒処分121人、訓告等464人)から減少」と報告されている。
体罰による懲戒処分が減少していることについては、教員による不祥事の改善への一歩として捉えても良さそうだが、それよりも懲戒処分を受けた121人の事例の一つで、より衝撃的なものをマス(ネット)・メディア(以下、総じてメディアとする)は取り上げて報道する。
すると印象としては、
「教師の体罰は昔も今も変わらず、改善されていない」
ということになる。したがって報道となると、盗撮や子供へのセクハラがとくに大きく取り上げられる。
実際には、2018年度の教員における懲戒処分(教育職員の懲戒処分は、重いものから順に「免職」「停職」「減給」「戒告」となる)の実数は、「交通事故・交通違反」によるものが2761件、「体罰」によるものが578件、「わいせつ行為等」によるものが282件、「個人情報の不適切な取り扱い」によるものが327件となっており、「交通事故・交通違反」による懲戒処分がもっとも多く、「わいせつ行為等」によるものがもっとも少ないということがわかる。
しかし別の視点で、たとえば懲戒処分の軽重でこれらの実数を見たとき、もっとも重い懲戒処分である「免職」、いわゆるクビになった数は、同じく2018年度で「交通事故・交通違反」によるものが27件、「体罰」によるものが0件、「わいせつ行為等」によるものが163件、「個人情報の不適切な取り扱い」によるものが0件となっている。
このことは、「わいせつ行為等」の不祥事がいかに重大な事案だったかを表していると言える。
教師は「ぬるい世界」で守られているのか
ちなみに、先に述べた「教師いじめ事件」ではどのような処分が下されたのか。
加害教員は4人とされる。
そのうち、中心的にいじめを実行した2人の教員(どちらも当時34歳の男性)には、「懲戒免職」のもっとも重い処分が下された。
45歳の女性教員が「停職」3ヶ月、37歳男性教諭に「減給」3ヶ月(10分の1)の処分が下された。
これら処分を厳しいと見るか、ぬるいと見るかは個々人によるが、社会的に、あるいは相対的に見ると教師の処分は甘いと映るのではないだろうか。
2021年5月28日に、「教員による性暴力防止法」が成立した。
これまでは、児童生徒に性暴力を行い、懲戒免職になり教員免許が失効した教師も、3年経って申請すれば自動的に再交付された。
被害を受けた子供たち、保護者の目の触れないところで、別の子供たちの前で教師でいることができたのだ。
しかしこの法律の制定によって、性暴力によって懲戒免職となった教師は、2度と教職に教職につくことができなくなる可能性ができた。
というのも、この法律も甘い抜け道があって、規定された内容とは、教員免許の再交付の申請を、都道府県教育委員会が「拒否することができる」権限を与えるというものなのである。
ということは、都道府県教育委員会が何らかの理由で、性暴力を働いた教師の教員免許再交付申請を「拒否しなければ」、その免職者は再び子供たちの前に立つのである。
神戸市の「教師いじめ事件」における4人の加害者についても、同じことが言える。
懲戒免職となった2人の「教員免許再交付」の可能性はゼロではないだろうし、停職と減給処分の2人については、現在も学校教育に関わり、仕事を続けている。
これは社会の通念からすると、非常にぬるいと見られるのではないだろうか。
ぬるいから、大抵のことではクビにならないから、不祥事が後を絶たないという見方もできるだろう。
このような、教師の不祥事の傾向から、私たちはいくつかの視点で考える必要がある。一つは、「最近になってこのような不祥事が増加しているのか」という視点である。この視点は、教師の資質の低下、あるいは採用に関連して、倍率の低下による教員の「質」の低下によって引き起こされたもの、という見方が包含されている。そうではない、昔から教員の不祥事は一部であったが、最近はメディアが取り上げすぎるからだ、と言ってみることは簡単な感情論だが、エビデンスに基づいて論証する必要があるだろう。したがって二つ目の視点は、「メディアによる教師への取り扱いが影響しているのか」という視点である。これについては、教師を取り扱った報道記事の数やその内容(見出し等)について調査する必要がある。
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