「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言⑦〜学校の目的は何か〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.84
前回No.83では、スガタ・ミトラの「クラウド上に学校を」について紹介した。スガタはスラムの子供たちにコンピューターを与えると、数時間後には自ら学び、習得することを実証し、「自己学習環境」(SOLE)のシステムを提案した […]
「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言⑥〜メリーゴーランドを降りよう〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.83
No.82では、学校や教師のイノベーションの困難さについて述べた。だが、そこに「科学」と「勇気」があれば、イノベーションは可能になるのではないか。 そこで今回は、ある教育のイノベーションに向けて、「科学」と「勇気」を持っ […]
「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言⑤〜教育における『科学』と『勇気』〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.82
ここまで、本シリーズのまとめの段階として「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言」として、ハイブリッド型授業や教師の姿について論考してきた。 前回No.81では、研究会の仲間とオンラインで交流しながら、「地に足がつ […]
「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言④ 〜学校教育の現実と夢〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.81
前回No.80では、「オンデマンドにの活用による個別最適な学びの可能性」について論考した。もう少し、授業のイノベーションについて考えていきたいが、今回は、教師たちのやりとりから考えさせられた、学校教育の現実について話した […]
「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言③ 〜オンデマンドから広がる個別最適な学びの可能性〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.80
前回No.79では、一斉授業の“とらわれ”について論考し、ハイブリッドに授業を展開する重要性について書いた。 もう少し、授業の形について考えてみよう。 3. 目を閉ざしてきた「知識・理解」の格差 〜オンデマンドによる可能 […]
「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言② 〜“一斉”という意味への着眼〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.79
前回No.78では、「1.授業を変える 〜発言力の育成はグローバルな生き方への第一歩〜」について書いた。今回も「授業のイノベーション」をテーマに考えてみよう。 2.一斉授業の慣習への“とらわれ”を捨てよう 新型コロナウイ […]
「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言① 〜発言力への着目〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.78
このシリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」は、今、ぼくの目の前にいる学生や、教師になった元ゼミ生たちを見ながら「教師という職業の価値」について再考しつつ、その憧れを取り戻す探究の旅だったと言えるだろう。 そ […]
「アジアの教師のスペシャリティー 〜教師が”聖職者”だった頃〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.77
前回(No.76)ではベトナムのダナン市にある小学校(Le Lai小学校)で聞いた話をもとに、アジアの教師事情について考えた。もう少し、ダナン市の教師事情について整理してみよう。 ダナン市の海沿いの小学校で ぼくたちは( […]
「アジアの教師のスペシャリティー 〜ベトナムの教師と学生〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.76
前回、前々回はアメリカの校長、中国の教師のスペシャリティーについて見てきた。今の日本の教師や教員養成の状況について思いを馳せたとき、以前訪れた発展途上国の教師や教師を目指す学生の姿を思い出した。 それはとても清廉で、心に […]
「アジアの教師のスペシャリティー 〜中国の教師〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.75
前回No.74では、教師と言う職業のスペシャリティーについて考える上で、アメリカのある校長の例について書いた。 今回は、アジアの教師について見てみよう。そこには、どのようなスペシャリティーがあるのだろう。 中国の教師のス […]