「まとめ① 教師の”ノブレス・オブリージュ”」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.93
ここから、本シリーズ「教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか」のまとめに入っていこう。それは、「どうすれば教師は、憧れを取り戻すのか」ということへの探究だ。 “ノブレス・オブリージュ” 歴史上で […]
「カリキュラム・イノベーション⑤ 〜”マイ・カリキュラム”という考え方〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.92
カリキュラムは誰のためにあるのか ぼくが考えるカリキュラムの世界観の矮小化の要因は、「学習指導要領」にあるということだ。 ナショナル・カリキュラムである学習指導要領は、カリキュラムを「公」のものにしてきてしまったという感 […]
「カリキュラム・イノベーション④ 〜学校と教師がカリキュラム開発の主体となるために〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.91
カリキュラム・マネジメントへのポジティブ性とネガティブ性 カリキュラム・マネジメントの理論は昔からある。例えばカリキュラム研究を牽引してきた中留武昭が「カリキュラムマネジメントの定着過程」を記したのは2005年のことだ。 […]
阪神・淡路大震災から27年目の1.17に寄せて
「黙祷」の瞬間に想像すること 昨日、2022年1月17日は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から27年目の1日だった。 ぼくは例年、ゼミの学生たちを連れて神戸市の東遊園地へ行き、「1.17の集いに参加するよ […]
「カリキュラム・イノベーション③ 〜カリキュラム・マネジメントの本質〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.90
カリキュラム・マネジメントの主体は誰なのか カリキュラムは教育の骨格を形成するばかりか、人生や国家の形成に強く関与することについて述べてきた。学校教育におけるカリキュラムは、社会の、そして世界の変化とともに変容することは […]
「カリキュラム・イノベーション② 〜カリキュラムは人を創る〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.89
学校教育におけるカリキュラムは、子供たちがどのような人生を歩むのかを左右する、あるいはその道標となるような重要なものだ。ここでいうカリキュラムとは、単なる「学習指導要領をスタンダードとした教育課程」とは意味を異にすること […]
「カリキュラム・イノベーション①〜カリキュラム観の変容の必要性〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.88
「カリキュラムとは何ですか」 ぼくがカリキュラム論の授業で教育学部の3回生の学生にそう問うたとき、ほとんどの学生はキョトンとし、「自分なりの考え」を含めた論を表現することはできなかった。 学生だから仕方ないとして、15回 […]
「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言⑩〜これからの学校の目的は『授業』なのか〜」教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.87
ここまで数回にわたって、「これからの学校の目的」を考える上で、教育の目的や「日本型学校教育」について論考してきた。そろそろ「これからの学校の目的は何か」ということに結論を出していこう。今回はまず、学校の目的のひとつである […]
「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言⑨ 〜今の「日本型学校教育」は幸せに結びつくのか〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.86
前回No.85では、最後に、 一人ひとりが「幸せ」を感じながら生きるための「学校」とはどのようなものだろう。それが、「これからの学校の目的」になっていくのかも知れない。 と述べた。 今回はまず、一人ひとりの子供の幸せとい […]
「学校・教師のイノベーションへのいくつかの提言⑧〜「幸せ」と教育 〜」 教師はなぜ、憧れの職業ではなくなったのか No.85
ここからは、「これからの学校の目的は何か」という問いについて考えていこう。 7. 学校を問い直す前に、国の姿を見つめてみよう まず、なぜそのようなことを改めて問い直す必要があるのか。それは、このシリーズのテーマである「教 […]