災害時における教師たちのノブレス・オブリージュ ~そこにある「使命感」と「多忙感」~ 2 震災をめぐる教師の「使命感」と「多忙感」への着目②
本シリーズの前回の投稿では、「災害時における教師たちのノブレス・オブリージュ ~そこにある「使命感」と「多忙感」~」についてのプロローグを記述した。
今回から、本題に入っていこう。
避難所を運営した教師たち
2016年4月14日に発生(前震)した熊本地震は、28時間以内に震度7以上の地震が2回発生(4月16日本震)するという点で観測史上初の規模だった。
また、その後2週間で1000回以上を数える余震が発生し、被災者は通常の生活空間から離れ、避難所での生活や車中泊を余儀なくされた。避難者数は少なくとも熊本県民の10%以上と類推され、その割合は阪神淡路大震災のおよそ2倍にあたる(注1)。
- (注1)「避難所となった学校における施設面の課題等について」熊本県教育委員会 https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shisetu/043/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2016/06/20/1372530_6.pdf
災害発生時における避難所は、各自治体の防災計画に基づいて設置され、公共施設が主としてその役割を担う。
学校が避難所となる場合は多く、熊本地震においても県下の公立学校全体の37%が避難所となった。
言うまでもなく、学校は教育機関だ。
災害時における設備や機能、体制を整えていることが絶対的な条件ではない。
しかし実際に災害が発生したとき、学校が担う避難所としての役割と期待は大きい。
このことは、教師に視点を移しても同じことが言える。
教師とは教育者だ。
災害発生時に学校が避難所となったとき、避難所の運営や管理は、自治体の災害担当職員が責務を負うものである。
そこにいる教師の役割は、児童等の安全確保であり、教育機関としての正常化に向けた取り組みである。
しかし実態としては、
「学校が避難所となった場合、原則的には、災害対策担当部局の管理下におかれることとなるが、校長をはじめ教職員は、避難所の運営システムが確立するまでの間、避難所の運営について協力することを期待されている」
学校等の防災体制の充実について 参考資料4 文部科学省 https://www.mext.go.jp/a_menu/shisetu/bousai/06051221/003/004.htm
と明記され、教師は災害時、避難所の運営において重要な役割を期待され、担うことが多い。
本研究のモデルである益城町立広安西小学校においては、21時26分の前震発生時に学校で校務等に携わっていた8名の教職員が、直ちに避難者誘導に直面した。
その後5月9日の学校再開を経て、8月18日の避難所閉所までの間、井手校長(当時)をはじめとした教師たちは、避難所運営に主体として携わり続けた。
その業務は、教師という職務を超えた「多忙」を極めていたと言える。
教師の「多忙」とは
教師の「多忙」や「多忙感」に関する研究は、長く教員文化研究の中で論じられてきた。
教師が「多忙化」したのか、教師の多忙が注目されているのかは諸説あるが、近年において教師のメンタルヘルスの悪化は指摘されており、バーンアウトや心の病による休職や退職の実態は見過ごすことはできない。
その背景には、いじめや不登校、学級崩壊などの教育問題の深刻化や学校安全への取り組み、特別支援教育の必要性の増大、そして学習指導要領の改訂等に伴う教科や領域の取り扱いの変化や新カリキュラムへの対応など、多岐にわたる諸問題が見える。
OECD国際教員指導環境調査(TALIS2013)では、参加34か国中、教師の「仕事時間の合計」が最も多く、また、中でも課外活動の指導に使う時間の多さが明白になった。
そのことによって、「教師の多忙化論」は熱を帯びた様相がある。
TALIS2018においても、やはり日本の教師の多忙感は指摘されているところだ。
教師の”ノブレス・オブリージュ”
そこでこの研究では、教師の「多忙感」と相対した教師の「使命感」を研究の関心として据えてみよう。
教師の使命感は不可欠なものであり、「いつの時代にも求められる資質能力」であるとされる。
だが、その資質能力としての「使命感」を、事件や災害時においてとらえたとき、それは果たして、教師が持つべき「不可欠」で「必要最低限」の資質能力であると、同列で論じることができるだろうか。
たとえば過去において、凶器を持って小学校内に侵入した暴漢に、素手で立ち向かい重傷を負った教師がいた(大阪教育大学附属池田小学校事件、2001年)。
あるいは校内に侵入した不審者を、低学年のフロアには決して行かせまいと、さすまたを持って不審者の動きを止めた教師たちがいた(高崎市立中央小学校での不審者侵入事件、2014年)。
不審者の動きを止めた教師は、後の取材で
「使命感だけで動いた。ここで命が終わるのだと思った」
と言っている(筆者インタビュー)。
この「使命感」はまさに命を賭したものであり、教師の「職業的使命感」と言える。
このような教師たちの姿には、そして熊本地震における井手校長(当時)をリーダーとして避難所を運営した教師たちの姿には、「高邁なる使命感」”ノブレス・オブリージュ”(noblesse oblige)があった。
ここでは、高邁なる使命感を意味するノブレス・オブリージュを、教師の「職業的使命感」として定義する。
災害時はまさしく、自己のコントロール(統制)が効かない特殊な状況下といえる。
その状況下において、自らも被災者である教師たちが避難所運営の主体として、その責務を果たそうとしてきた実態がある。
そこで、災害時において、その「職業的使命感」は統制の効かない状況における「多忙感」を凌駕するのではないかという仮説を立てるとしよう。
そして、熊本地震において教員が果たした役割をモデルとし、非災害地域の教員の「使命感」「多忙感」との比較調査を行うことによって、災害時における教師の“ノブレス・オブリージュ”の実態を明らかにしていきたいと思う。
(次回へと続く)